第一章 匂宮の物語 春、匂宮、宇治に立ち寄る
4. 匂宮と中の君、和歌を詠み交す
本文 |
現代語訳 |
かの宮は、まいてかやすきほどならぬ御身をさへ、所狭く思さるるを、かかる折にだにと、忍びかねたまひて、おもしろき花の枝を折らせたまひて、御供にさぶらふ上童のをかしきしてたてまつりたまふ。 |
あの宮は、それ以上に気軽に動けないご身分までをも、窮屈にお思いであるが、せめてこのような機会にでもと、たまらなくお思いになって、美しい花の枝を折らせなさって、お供に控えている殿上童でかわいい子を使いにして差し上げなさる。 |
「山桜匂ふあたりに尋ね来て 同じかざしを折りてけるかな |
「山桜が美しく咲いている辺りにやって来て 同じこの地の美しい桜を插頭しに手折ったことです |
野を睦ましみ」 |
野が睦まじいので」 |
とやありけむ。「御返りは、いかでかは」など、聞こえにくく思しわづらふ。 |
とでもあったのであろうか。「お返事は、とてもできない」などと、差し上げにくく当惑していらっしゃる。 |
「かかる折のこと、わざとがましくもてなし、ほどの経るも、なかなか憎きことになむしはべりし」 |
「このような時のお返事は、特別なふうに考えて、時間をかけ過ぎるのも、かえって憎らしいことでございます」 |
など、古人ども聞こゆれば、中の君にぞ書かせたてまつりたまふ。 |
などと、老女房たちが申し上げるので、中の君にお書かせ申し上げなさる。 |
「かざし折る花のたよりに山賤の 垣根を過ぎぬ春の旅人 |
「插頭の花を手折るついでに、山里の家は 通り過ぎてしまう春の旅人なのでしょう |
野をわきてしも」 |
わざわざ野を分けてまでもありますまい」 |
と、いとをかしげに、らうらうじく書きたまへり。 |
と、たいそう美しく、上手にお書きになっていた。 |
げに、川風も心わかぬさまに吹き通ふ物の音ども、おもしろく遊びたまふ。御迎へに、藤大納言、仰せ言にて参りたまへり。人びとあまた参り集ひ、もの騒がしくてきほひ帰りたまふ。若き人びと、飽かず返り見のみせられける。宮は、「またさるべきついでして」と思す。 |
なるほど、川風も隔て心をおかずに吹き通う楽の音を、面白く合奏なさる。お迎えに、藤大納言が、勅命によって参上なさった。人びとが大勢参集して、何かと騒がしくして先を争ってお帰りになる。若い人たちは、物足りなく、ついつい後を振り返ってばかりいた。宮は、「また何かの機会に」とお思いになる。 |
花盛りにて、四方の霞も眺めやるほどの見所あるに、唐のも大和のも、歌ども多かれど、うるさくて尋ねも聞かぬなり。 |
花盛りで、四方の霞も眺めやる見所があるので、漢詩や和歌も、作品が多く作られたが、わずらわしいので詳しく尋ねもしないのである。 |
もの騒がしくて、思ふままにもえ言ひやらずなりにしを、飽かず宮は思して、しるべなくても御文は常にありけり。宮も、 |
何かと騒々しくて、思うようにも意を尽くして言いやることもできずじまいだったことを、残念に宮はお思いになって、手引なしでもお手紙は常にあるのだった。宮も、 |
「なほ、聞こえたまへ。わざと懸想だちてももてなさじ。なかなか心ときめきにもなりぬべし。いと好きたまへる親王なれば、かかる人なむ、と聞きたまふが、なほもあらぬすさびなめり」 |
「やはり、お返事は差し上げなさい。ことさら懸想文のようには扱うまい。かえって心をときめかさせることになってしまいましょう。たいそう好色の親王なので、このような姫がいる、とお聞きになると、放っておけないと思うだけの戯れ事なのでしょう」 |
と、そそのかしたまふ時々、中の君ぞ聞こえたまふ。姫君は、かやうのこと、戯れにももて離れたまへる御心深さなり。 |
と、お促しなさる時々、中の君がお返事申し上げなさる。姫君は、このようなことは、冗談事にもご関心のないご思慮深さである。 |
いつとなく心細き御ありさまに、春のつれづれは、いとど暮らしがたく眺めたまふ。ねびまさりたまふ御さま容貌ども、いよいよまさり、あらまほしくをかしきも、なかなか心苦しく、「かたほにもおはせましかば、あたらしう、惜しき方の思ひは薄くやあらまし」など、明け暮れ思し乱る。 |
いつとなく心細いご様子で、春の日長の所在なさは、ますます過ごしがたく物思いに耽っていらっしゃる。ご成長なさったご容姿器量も、ますます優れ、申し分なく美しいのにつけても、かえっておいたわしく、「不器量であったら、もったいなく、惜しいなどの思いは少なかったろうに」などと、明け暮れお悩みになる。 |
姉君二十五、中の君二十三にぞなりたまひける。 |
姉君は二十五歳、中の君は二十三歳におなりであった。 |