TOP  総目次  源氏物語目次   前へ 次へ
椎本

第三章 宇治の姉妹の物語 晩秋の傷心の姫君たち   

2. 匂宮からの弔問の手紙   

 

本文

現代語訳

 御忌も果てぬ。限りあれば、涙も隙もやと思しやりて、いと多く書き続けたまへり。時雨がちなる夕つ方、

 御忌中も終わった。限りがあるので、涙も絶え間があろうかとお思いやりになって、とてもたくさんお書き綴りなさった。時雨がちの夕方、

 「牡鹿鳴く秋の山里いかならむ

   小萩が露のかかる夕暮

「牡鹿の鳴く秋の山里はいかがお暮らしでしょうか

   小萩に露のかかる夕暮時は

 ただ今の空のけしき、思し知らぬ顔ならむも、あまり心づきなくこそあるべけれ。枯れゆく野辺も、分きて眺めらるるころになむ」

 ちょうど今の空の様子、ご存知ないふりをなさるのでしたら、あまりにひどいことでございます。枯れて行く野辺も、特別のものとして眺められるころでございます」

 などあり。

 などとある。

 「げに、いとあまり思ひ知らぬやうにて、たびたびになりぬるを、なほ、聞こえたまへ」

 「おしっしゃるとおり、とても情け知らずの有様で、何度にもなってしまいましたから、やはり、差し上げなさい」

 など、中の宮を、例の、そそのかして、書かせたてまつりたまふ。

 などと、中の宮を、いつものように、催促してお書かせ申し上げなさる。

 「今日までながらへて、硯など近くひき寄せて見るべきものとやは思ひし。心憂くも過ぎにける日数かな」と思すに、またかきくもり、もの見えぬ心地したまへば、押しやりて、

 「今日まで生き永らえて、硯などを身近に引き寄せて使おうなどと思ったろうか。情けなくも過ぎてしまった日数だわ」とお思いになると、また涙に曇り、何も見えない気がなさるので、硯を押しやって、

 「なほ、えこそ書きはべるまじけれ。やうやうかう起きゐられなどしはべるが、げに、限りありけるにこそとおぼゆるも、疎ましう心憂くて」

 「やはり、書くことはできませんわ。だんだんこのように起きてはいられますが、なるほど、限りがあるのだわと思われますのも、疎ましく情けなくて」

 と、らうたげなるさまに泣きしをれておはするも、いと心苦し。

 と、可憐な様子で泣きしおれていらっしゃるのも、まことにいたいたしい。

 夕暮のほどより来ける御使、宵すこし過ぎてぞ来たる。「いかでか、帰り参らむ。今宵は旅寝して」と言はせたまへど、「立ち帰りこそ、参りなめ」と急げば、いとほしうて、我さかしう思ひしづめたまふにはあらねど、見わづらひたまひて、

 夕暮のころに出立したお使いが、宵が少し過ぎたころに着いた。「どうして、帰参することができましょう。今夜は泊まって行くように」と言わせなさるが、「すぐ引き返して、帰参します」と急ぐので、お気の毒で、自分は冷静に落ち着いていらっしゃるのではないが、見るに見かねなさって、

 「涙のみ霧りふたがれる山里は

   籬に鹿ぞ諸声に鳴く」

 「涙ばかりで霧に塞がっている山里は

   籬に鹿が声を揃えて鳴いております」

 黒き紙に、夜の墨つきもたどたどしければ、ひきつくろふところもなく、筆にまかせて、おし包みて出だしたまひつ。

 黒い紙に、夜のため墨つきもはっきりしないので、体裁を整えることもなく、筆に任せて書いて、そのまま包んでお渡しになった。



TOP  総目次  源氏物語目次 ページトップへ  前へ 次へ