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椎本

第三章 宇治の姉妹の物語 晩秋の傷心の姫君たち   

3. 匂宮の使者、帰邸   

 

本文

現代語訳

 御使は、木幡の山のほども、雨もよにいと恐ろしげなれど、さやうのもの懼ぢすまじきをや選り出でたまひけむ、むつかしげなる笹の隈を、駒ひきとどむるほどもなくうち早めて、片時に参り着きぬ。御前にても、いたく濡れて参りたれば、禄賜ふ。

 お使いは、木幡の山の辺りも、雨降りでとても恐ろしそうだが、そのような物怖じしないような者をお選びになったのであろうか、気味悪そうな笹の蔭を、馬を止める間もなく早めて、わずかの時間に参り着いた。宮の御前においても、ひどく濡れて参ったので、禄を賜る。

 さきざき御覧ぜしにはあらぬ手の、今すこしおとなびまさりて、よしづきたる書きざまなどを、「いづれか、いづれならむ」と、うちも置かず御覧じつつ、とみにも大殿籠もらねば、

 以前に見たのとは違った筆跡で、もう少し大人びていて、風情ある書き方などを、「どちららの姫君が書いたものだろうか」と、下にも置かず御覧になりながら、すぐにもお寝みにならないので、

「待つとて、起きおはしまし」

 「待つとおっしゃって、起きていらして」

 「また御覧ずるほどの久しきは、いかばかり御心にしむことならむ」

 「また御覧になることの長いことは、どれほどご執心なのでしょう」

 と、御前なる人びと、ささめき聞こえて、憎みきこゆ。ねぶたければなめり。

 と、御前に仕える女房たちは、ささやき申して、お妬み申し上げる。眠たいからなのであろう。

 まだ朝霧深き朝に、いそぎ起きてたてまつりたまふ。

 まだ朝霧の深い明け方に、急いで起きて手紙を差し上げなさる。

 「朝霧に友まどはせる鹿の音を

   おほかたにやはあはれとも聞く

 「朝霧に友を見失った鹿の声を

   ただ世間並にしみじみと悲しく聞いておりましょうか

 諸声は劣るまじくこそ」

 一緒に鳴く声には負けません」

 とあれど、「あまり情けだたむもうるさし。一所の御蔭に隠ろへたるを頼み所にてこそ、何ごとも心やすくて過ごしつれ。心よりほかにながらへて、思はずなることの紛れ、つゆにてもあらば、うしろめたげにのみ思しおくめりしなき御魂にさへ、疵やつけたてまつらむ」と、なべていとつつましう恐ろしうて、聞こえたまはず。

 とあるが、「あまりに風情を知りすぎるようなのも厄介だ。お一方のお蔭に隠れていられたのを頼み所として、何事も安心して過ごしていた。思いもかけず長生きして、不本意な間違い事が、少しでも起こったら、気がかりでならないようにお考えであった亡きみ魂にまで、瑕をおつけ申すことになろう」と、何事にも引っ込み思案に恐れて、お返事申し上げなさらない。

 この宮などを、軽らかにおしなべてのさまにも思ひきこえたまはず。なげの走り書いたまへる御筆づかひ言の葉も、をかしきさまになまめきたまへる御けはひを、あまたは見知りたまはねど、見たまひながら、「そのゆゑゆゑしく情けある方に、言をまぜきこえむも、つきなき身のありさまどもなれば、何か、ただ、かかる山伏だちて過ぐしてむ」と思す。

 この宮などを、軽薄な世間並の男性とはお思い申し上げていらっしゃらない。何でもない走り書きなさったご筆跡や言葉遣いも、風情があり優美でいらっしゃるご様子を、多くはご存知でないが、御覧になりながら、「その嗜み深く風情あるお手紙に、お返事申し上げるのも、似合わしくない二人の身の上なので、いっそ、ただ、このような山里人めいて過ごそう」とお思いになる。



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