第三章 中の君の物語 中の君と匂宮との結婚
5. 薫、再び実事なく夜を明かす
本文 |
現代語訳 |
例の、明け行くけはひに、鐘の声など聞こゆ。「いぎたなくて出でたまふべきけしきもなきよ」と、心やましく、声づくりたまふも、げにあやしきわざなり。 |
いつもの、明けゆく様子に、鐘の音などが聞こえる。「眠っていてお出になるような様子もないな」と、妬ましくて、咳払いなさるのも、なるほど妙なことである。 |
「しるべせし我やかへりて惑ふべき 心もゆかぬ明けぐれの道 |
「道案内をしたわたしがかえって迷ってしまいそうです 満ち足りない気持ちで帰る明け方の暗い道を |
かかる例、世にありけむや」 |
このような例は、世間にあったでしょうか」 |
とのたまへば、 |
とおっしゃると、 |
「かたがたにくらす心を思ひやれ 人やりならぬ道に惑はば」 |
「それぞれに思い悩むわたしの気持ちを思ってみてください 自分勝手に道にお迷いならば」 |
と、ほのかにのたまふを、いと飽かぬ心地すれば、 |
と、かすかにおっしゃるのを、まことに物足りない気がするので、 |
「いかに、こよなく隔たりてはべるめれば、いとわりなうこそ」 |
「何とも、すっかり隔てられているようなので、まことに堪らない気持ちです」 |
など、よろづに怨みつつ、ほのぼのと明けゆくほどに、昨夜の方より出でたまふなり。いとやはらかに振る舞ひなしたまへる匂ひなど、艶なる御心げさうには、言ひ知らずしめたまへり。ねび人どもは、いとあやしく心得がたく思ひ惑はれけれど、「さりとも悪しざまなる御心あらむやは」と慰めたり。 |
などと、いろいろと恨みながら、ほのぼのと明けてゆくころに、昨夜の方角からお出になる様子である。たいそう柔らかく振る舞っていらっしゃる所作など、色めかしいお心用意から、何ともいえないくらい香をたきこめていらっしゃった。老女連中は、まことに妙に合点がゆかず戸惑っていたが、「そうはいっても悪いようにはなさるまい」と慰めていた。 |
暗きほどにと、急ぎ帰りたまふ。道のほども、帰るさはいとはるけく思されて、心安くもえ行き通はざらむことの、かねていと苦しきを、「夜をや隔てむ」と思ひ悩みたまふなめり。まだ人騒がしからぬ朝のほどにおはし着きぬ。廊に御車寄せて降りたまふ。異やうなる女車のさまして隠ろへ入りたまふに、皆笑ひたまひて、 |
暗いうちにと、急いでお帰りになる。道中も、帰途はたいそう遥か遠く思われなさって、気軽に行き来できそうにないことが、今からとてもつらいので、「夜を隔てられようか」と思い悩んでいらっしゃるようである。まだ人が騒々しくならない朝のうちにお着きになった。廊にお車を寄せてお下りになる。異様な女車の恰好をしてこっそりとお入りになるにつけても、皆お笑いになって、 |
「おろかならぬ宮仕への御心ざしとなむ思ひたまふる」 |
「いい加減でない宮仕えのお気持ちと存じます」 |
と申したまふ。しるべのをこがましさも、いと妬くて、愁へもきこえたまはず。 |
と申し上げなさる。道案内の馬鹿らしさを、まことに悔しいので、愚痴を申し上げるお気にもならない。 |