第五章 大君の物語 匂宮たちの紅葉狩り
2. 一行、和歌を唱和する
本文 |
現代語訳 |
今日は、かくてと思すに、また、宮の大夫、さらぬ殿上人など、あまたたてまつりたまへり。心あわたたしく口惜しくて、帰りたまはむそらなし。かしこには御文をぞたてまつれたまふ。をかしやかなることもなく、いとまめだちて、思しけることどもを、こまごまと書き続けたまへれど、「人目しげく騒がしからむに」とて、御返りなし。 |
今日は、このままとお思いになるが、また、宮の大夫、その他の殿上人などを、大勢差し上げなさっていた。気ぜわしく残念で、お帰りになる気もしない。あちらにはお手紙を差し上げなさる。風流なこともなく、たいそう真面目に、お思いになっていたことを、こまごまと書き綴りなさっていたが、「人目が多く騒がしいだろう」とて、お返事はない。 |
「数ならぬありさまにては、めでたき御あたりに交じらはむ、かひなきわざかな」と、いとど思し知りたまふ。よそにて隔たる月日は、おぼつかなさもことわりに、さりともなど慰めたまふを、近きほどにののしりおはして、つれなく過ぎたまひなむ、つらくも口惜しくも思ひ乱れたまふ。 |
「人数にも入らない身の上では、ご立派な方とお付き合いするのは、詮ないことであったのだ」と、ますますお思い知りなさる。逢わずに過す月日は、心配も道理であるが、いくら何でも後にはなどと慰めなさるが、近くで大騒ぎしていらして、何もなくて去っておしまいになるのが、つらく残念にも思い乱れなさる。 |
宮は、まして、いぶせくわりなしと思すこと、限りなし。網代の氷魚も心寄せたてまつりて、いろいろの木の葉にかきまぜもてあそぶを、下人などはいとをかしきことに思へれば、人に従ひつつ、心ゆく御ありきに、みづからの御心地は、胸のみつとふたがりて、空をのみ眺めたまふに、この古宮の梢は、いとことにおもしろく、常磐木にはひ混じれる蔦の色なども、もの深げに見えて、遠目さへすごげなるを、中納言の君も、「なかなか頼めきこえけるを、憂はしきわざかな」とおぼゆ。 |
宮は、それ以上に、憂鬱でやるせないとお思いになること、この上ない。網代の氷魚も心寄せ申して、色とりどりの木の葉にのせて賞味なさるを、下人などはまことに美しいことと思っているので、人それぞれに従って、満足しているようなご外出に、ご自身のお気持ちは、胸ばかりがいっぱいになって、空ばかりを眺めていらっしゃるが、この故宮邸の梢は、たいそう格別に美しく、常磐木に這いかかっている蔦の色なども、何となく深味があって、遠目にさえ物淋しそうなのを、中納言の君も、「なまじご依頼申し上げなさっていたのが、かえってつらいことになったな」と思われる。 |
去年の春、御供なりし君たちは、花の色を思ひ出でて、後れてここに眺めたまふらむ心細さを言ふ。かく忍び忍びに通ひたまふと、ほの聞きたるもあるべし。心知らぬも混じりて、おほかたにとやかくやと、人の御上は、かかる山隠れなれど、おのづから聞こゆるものなれば、 |
去年の春、お供した公達は、花の美しさを思い出して、先立たれてここで悲しんでいらっしゃるだろう心細さを噂する。このように忍び忍びにお通いになると、ちらっと聞いている者もいるのであろう。事情を知らない者も混じって、だいたいが何やかやと、人のお噂は、このような山里であるが、自然と聞こえるものなので、 |
「いとをかしげにこそものしたまふなれ」 |
「とても素晴らしくいらっしゃるそうな」 |
「箏の琴上手にて、故宮の明け暮れ遊びならはしたまひければ」 |
「箏の琴が上手で、故宮が明け暮れお弾きになるようしつけていらしたので」 |
など、口々言ふ。 |
などと、口々に言う。 |
宰相の中将、 |
宰相中将が、 |
「いつぞやも花の盛りに一目見し 木のもとさへや秋は寂しき」 |
「いつだったか花の盛りに一目見た木のもとまでが 秋はお寂しいことでしょう」 |
主人方と思ひて言へば、中納言、 |
主人方と思って詠みかけてくるので、中納言は、 |
「桜こそ思ひ知らすれ咲き匂ふ 花も紅葉も常ならぬ世を」 |
「桜は知っているでしょう 咲き匂う花も紅葉も常ならぬこの世を」 |
衛門督、 |
衛門督、 |
「いづこより秋は行きけむ山里の 紅葉の蔭は過ぎ憂きものを」 |
「どこから秋は去って行くのでしょう 山里の紅葉の蔭は立ち去りにくいのに」 |
宮の大夫、 |
宮の大夫、 |
「見し人もなき山里の岩垣に 心長くも這へる葛かな」 |
「お目にかかったことのある方も亡くなった 山里の岩垣に気の長く這いかかっている蔦よ」 |
中に老いしらひて、うち泣きたまふ。親王の若くおはしける世のことなど、思ひ出づるなめり。 |
その中で年老いていて、お泣きになる。親王が若くいらっしゃった当時のことなどを、思い出したようである。 |
宮、 |
宮、 |
「秋はてて寂しさまさる木のもとを 吹きな過ぐしそ峰の松風」 |
「秋が終わって寂しさがまさる木のもとを あまり烈しく吹きなさるな、峰の松風よ」 |
とて、いといたく涙ぐみたまへるを、ほのかに知る人は、 |
と詠んで、とてもひどく涙ぐんでいらっしゃるのを、うすうす事情を知っている人は、 |
「げに、深く思すなりけり。今日のたよりを過ぐしたまふ心苦しさ」 |
「なるほど、深いご執心なのだ。今日の機会をお逃しになるおいたわしさ」 |
と見たてまつる人あれど、ことことしく引き続きて、えおはしまし寄らず。作りける文のおもしろき所々うち誦じ、大和歌もことにつけて多かれど、かうやうの酔ひの紛れに、ましてはかばかしきことあらむやは。片端書きとどめてだに見苦しくなむ。 |
と拝し上げる人もいるが、仰々しく行列をつくっては、お立ち寄りになることはできない。作った漢詩文の素晴らしい所々を朗誦し、和歌も何やかやと多かったが、このような酔いの紛れには、それ以上に良い作があろうはずがない。一部分を書き留めてさえ見苦しいものである。 |