第一章 薫と匂宮の物語 女二の宮や六の君との結婚話
4. 帝、女二の宮や薫と碁を打つ
本文 |
現代語訳 |
御碁など打たせたまふ。暮れゆくままに、時雨をかしきほどに、花の色も夕映えしたるを御覧じて、人召して、 |
御碁などをお打ちあそばす。暮れて行くにしたがって、時雨が趣きあって、花の色も夕日に映えて美しいのを御覧になって、人を召して、 |
「ただ今、殿上には誰れ誰れか」 |
「ただ今、殿上間には誰々がいるか」 |
と問はせたまふに、 |
とお問いあそばすと、 |
「中務親王、上野親王、中納言源朝臣さぶらふ」 |
「中務親王、上野親王、中納言源朝臣が伺候しております」 |
と奏す。 |
と奏上する。 |
「中納言朝臣こなたへ」 |
「中納言の朝臣こちらへ」 |
と仰せ言ありて参りたまへり。げに、かく取り分きて召し出づるもかひありて、遠くより薫れる匂ひよりはじめ、人に異なるさましたまへり。 |
と仰せ言があって参上なさった。なるほど、このように特別に召し出すかいもあって、遠くから薫ってくる匂いをはじめとして、人と違った様子をしていらっしゃった。 |
「今日の時雨、常よりことにのどかなるを、遊びなどすさまじき方にて、いとつれづれなるを、いたづらに日を送る戯れにて、これなむよかるべき」 |
「今日の時雨は、いつもより格別にのんびりとしているが、音楽などは具合が悪い所なので、まことに所在ないが、何となく日を送る遊び事として、これがよいだろう」 |
とて、碁盤召し出でて、御碁の敵に召し寄す。いつもかやうに、気近くならしまつはしたまふにならひにたれば、「さにこそは」と思ふに、 |
と仰せになって、碁盤を召し出して、御碁の相手に召し寄せる。いつもこのように、お身近に親しくお召しになるのが習慣になっているので、「今日もそうだろう」と思うと、 |
「好き賭物はありぬべけれど、軽々しくはえ渡すまじきを、何をかは」 |
「ちょうどよい賭物はありそうだが、軽々しくは与えることができないので、何がよかろう」 |
などのたまはする御けしき、いかが見ゆらむ、いとど心づかひしてさぶらひたまふ。 |
などと仰せになるご様子は、どのように見えたのであろう、ますます緊張して控えていらっしゃる。 |
さて、打たせたまふに、三番に数一つ負けさせたまひぬ。 |
そうして、お打ちあそばすうちに、三番勝負に一つお負け越しあそばした。 |
「ねたきわざかな」とて、「まづ、今日は、この花一枝許す」 |
「悔しいことだ」とおっしゃって、「まず、今日は、この花一枝を許す」 |
とのたまはすれば、御いらへ聞こえさせで、下りておもしろき枝を折りて参りたまへり。 |
と仰せになったので、お返事を申し上げずに、降りて美しい枝を手折って持って昇がった。 |
「世の常の垣根に匂ふ花ならば 心のままに折りて見ましを」 |
「世間一般の家の垣根に咲いている花ならば 思いのままに手折って賞美すことができましょうものを」 |
と奏したまへる、用意あさからず見ゆ。 |
と奏上なさる、心づかいは浅くなく見える。 |
「霜にあへず枯れにし園の菊なれど 残りの色はあせずもあるかな」 |
「霜に堪えかねて枯れてしまった園の菊であるが 残りの色は褪せていないな」 |
とのたまはす。 |
と仰せになる。 |
かやうに、折々ほのめかさせたまふ御けしきを、人伝てならず承りながら、例の心の癖なれば、急がしくしもおぼえず。 |
このように、ときどき結婚をおほのめかしあそばす御様子を、人伝てでなく承りながら、例の性癖なので、急ごうとは思わない。 |
「いでや、本意にもあらず。さまざまにいとほしき人びとの御ことどもをも、よく聞き過ぐしつつ年経ぬるを、今さらに聖のものの、世に帰り出でむ心地すべきこと」 |
「いや、本意ではない。いろいろと心苦しい人びとのご縁談を、うまく聞き流して年を過ごしてきたのに、今さら出家僧が、還俗したような気がするだろう」 |
と思ふも、かつはあやしや。 |
と思うのも、また妙なものだ。 |
「ことさらに心を尽くす人だにこそあなれ」とは思ひながら、「后腹におはせばしも」とおぼゆる心の内ぞ、あまりおほけなかりける。 |
「特別に恋い焦がれている人さえあるというのに」とは思う一方で、「后腹の姫宮でいらっしゃったら」と思う心の中は、あまりに大それた考えであった。 |