第四章 薫の物語 中君に同情しながら恋慕の情高まる
3. 中君と薫、手紙を書き交す
本文 |
現代語訳 |
かくて後、二条院に、え心やすく渡りたまはず。軽らかなる御身ならねば、思すままに、昼のほどなどもえ出でたまはねば、やがて同じ南の町に、年ごろありしやうにおはしまして、暮るれば、また、え引き避きても渡りたまはずなどして、待ち遠なる折々あるを、 |
こうして後は、二条院に、気安くお渡りになれない。軽々しいご身分でないので、お考えのままに、昼間の時間もお出になることができないので、そのまま同じ六条院の南の町に、以前に住んでいたようにおいでになって、暮れると、再び、この君を避けてあちらへお渡りになることもできないなどして、待ち遠しい時々があるが、 |
「かからむとすることとは思ひしかど、さしあたりては、いとかくやは名残なかるべき。げに、心あらむ人は、数ならぬ身を知らで、交じらふべき世にもあらざりけり」 |
「このようなことになるとは思っていたが、当面すると、まるっきり変わってしまうものであろうか。なるほど、思慮深い人は、物の数にも入らない身分で、結婚すべきではなかった」 |
と、返す返すも山路分け出でけむほど、うつつともおぼえず悔しく悲しければ、 |
と、繰り返し山里を出て来た当座のことを、現実とも思われず悔しく悲しいので、 |
「なほ、いかで忍びて渡りなむ。むげに背くさまにはあらずとも、しばし心をも慰めばや。憎げにもてなしなどせばこそ、うたてもあらめ」 |
「やはり、何とかしてこっそりと帰りたい。まるっきり縁が切れるというのでなくとも、暫く気を休めたいものだ。憎らしそうに振る舞ったら、嫌なことであろう」 |
など、心一つに思ひあまりて、恥づかしけれど、中納言殿に文たてまつれたまふ。 |
などと、胸一つに思いあまって、恥ずかしいが、中納言殿に手紙を差し上げなさる。 |
「一日の御ことをば、阿闍梨の伝へたりしに、詳しく聞きはべりにき。かかる御心の名残なからましかば、いかにいとほしくと思ひたまへらるるにも、おろかならずのみなむ。さりぬべくは、みづからも」 |
「先日の御事は、阿闍梨が伝えてくれたので、詳しくお聞きしました。このようなご親切がなかったら、どんなにかおいたわしいことかと存じられますにつけても、深く感謝申し上げております。できますことなら、親しくお礼を」 |
と聞こえたまへり。 |
と申し上げなさった。 |
陸奥紙に、ひきつくろはずまめだち書きたまへるしも、いとをかしげなり。宮の御忌日に、例のことどもいと尊くせさせたまへりけるを、喜びたまへるさまの、おどろおどろしくはあらねど、げに、思ひ知りたまへるなめりかし。例は、これよりたてまつる御返りをだに、つつましげに思ほして、はかばかしくも続けたまはぬを、「みづから」とさへのたまへるが、めづらしくうれしきに、心ときめきもしぬべし。 |
陸奥紙に、しゃれないできちんとお書きになっているのが、実に美しい。宮のご命日に、例の法事をとても尊くおさせになったのを、喜んでいらっしゃる様子が、仰々しくはないが、なるほど、お分かりになったようである。いつもは、こちらから差し上げるお返事でさえ、遠慮深そうにお思いになって、てきぱきともお書きにならないのに、「親しくお礼を」とまでおっしゃったのが、珍しく嬉しいので、心ときめきするにちがいない。 |
宮の今めかしく好みたちたまへるほどにて、思しおこたりけるも、げに心苦しく推し量らるれば、いとあはれにて、をかしやかなることもなき御文を、うちも置かず、ひき返しひき返し見ゐたまへり。御返りは、 |
宮が新しい女性に関心を寄せていらっしゃる時なので、疎かにお扱いになっていたのも、なるほどおいたわしく推察されるので、たいそう気の毒になって、風流なこともないお手紙を、下にも置かず、繰り返し繰り返し御覧になっていた。お返事は、 |
「承りぬ。一日は、聖だちたるさまにて、ことさらに忍びはべしも、さ思ひたまふるやうはべるころほひにてなむ。名残とのたまはせたるこそ、すこし浅くなりにたるやうにと、恨めしく思うたまへらるれ。よろづはさぶらひてなむ。あなかしこ」 |
「承知いたしました。先日は、修行者のような恰好で、わざとこっそり参りましたが、そのように考えますような事情がございましたときですので。引き続いてとおっしゃってくださるのは、わたしの気持ちが少し薄くなったようだからかと、恨めしく存じられます。何もかも伺いましてから。恐惶謹言」 |
と、すくよかに、白き色紙のこはごはしきにてあり。 |
と、きまじめに、白い色紙でごわごわとしたのに書いてある。 |