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宿木

第六章 薫の物語 中君から異母妹の浮舟の存在を聞く   

1. 薫、二条院の中君を訪問     

 

本文

現代語訳

 男君も、しひて思ひわびて、例の、しめやかなる夕つ方おはしたり。やがて端に御茵さし出でさせたまひて、「いと悩ましきほどにてなむ、え聞こえさせぬ」と、人して聞こえ出だしたまへるを聞くに、いみじくつらくて、涙落ちぬべきを、人目につつめば、しひて紛らはして、

 男君も、無理をして困って、いつものように、しっとりした夕方おいでになった。そのまま端にお褥を差し出させなさって、「とても苦しい時でして、お相手申し上げることができません」と、女房を介して申し上げさせなさったのを聞くと、ひどくつらくて、涙が落ちてしまいそうなのを、人目にかくして、無理に紛らわして、

 「悩ませたまふ折は、知らぬ僧なども近く参り寄るを。医師などの列にても、御簾の内にはさぶらふまじくやは。かく人伝てなる御消息なむ、かひなき心地する」

 「お悩みでいらっしゃる時は、知らない僧なども近くに参り寄るものですよ。医師などと同じように、御簾の内に伺候することはできませんか。このような人を介してのご挨拶は、効のない気がします」

 とのたまひて、いとものしげなる御けしきなるを、一夜もののけしき見し人びと、

 とおっしゃって、とても不愉快なご様子なのを、先夜お二人の様子を見ていた女房たちは、

 「げに、いと見苦しくはべるめり」

 「なるほど、とても見苦しくございますようです」

 とて、母屋の御簾うち下ろして、夜居の僧の座に入れたてまつるを、女君、まことに心地もいと苦しけれど、人のかく言ふに、掲焉にならむも、またいかが、とつつましければ、もの憂ながらすこしゐざり出でて、対面したまへり。

 と言って、母屋の御簾を下ろして、夜居の僧の座所にお入れ申すのを、女君は、ほんとうに気分も実に苦しいが、女房がこのように言うので、はっきり拒むのも、またどんなものかしら、と遠慮されるので、嫌な気分ながら少しいざり出て、お会いなさった。

 いとほのかに、時々もののたまふ御けはひの、昔人の悩みそめたまへりしころ、まづ思ひ出でらるるも、ゆゆしく悲しくて、かきくらす心地したまへば、とみにものも言はれず、ためらひてぞ聞こえたまふ。

 とてもかすかに、時々何かおっしゃるご様子が、亡くなった姫君が病気におなり始めになったころが、まずは思い出されるのも、不吉で悲しくて、まっくらな気持ちにおなりになると、すぐには何も言うことができず、躊躇して申し上げなさる。

 こよなく奥まりたまへるもいとつらくて、簾の下より几帳をすこしおし入れて、例の、なれなれしげに近づき寄りたまふが、いと苦しければ、わりなしと思して、少将といひし人を近く呼び寄せて、

 この上なく奥のほうにいらっしゃるのがとてもつらくて、御簾の下から几帳を少し押し入れて、いつものように、馴れ馴れしくお近づき寄りなさるのが、とても苦しいので、困ったことだとお思いになって、少将と言った女房を近くに呼び寄せて、

 「胸なむ痛き。しばしおさへて」

 「胸が痛い。暫く押さえていてほしい」

 とのたまふを聞きて、

 とおっしゃるのを聞いて、

 「胸はおさへたるは、いと苦しくはべるものを」

 「胸を押さえたら、とても苦しくなるものです」

 とうち嘆きて、ゐ直りたまふほども、げにぞ下やすからぬ。

 と溜息をついて、居ずまいを直しなさる時も、なるほど内心穏やかならない気がする。

 「いかなれば、かくしも常に悩ましくは思さるらむ。人に問ひはべりしかば、しばしこそ心地は悪しかなれ、さてまた、よろしき折あり、などこそ教へはべしか。あまり若々しくもてなさせたまふなめり」

 「どうして、このようにいつもお苦しみでいらっしゃるのだろう。人に尋ねましたら、暫くの間は気分が悪いが、そうしてまた、良くなる時がある、などと教えました。あまりに子供っぽくお振る舞いになっていらっしゃるようです」

 とのたまふに、いと恥づかしくて、

 とおっしゃると、とても恥ずかしくて、

 「胸は、いつともなくかくこそははべれ。昔の人もさこそはものしたまひしか。長かるまじき人のするわざとか、人も言ひはべるめる」

 「胸は、いつとなくこのようでございます。故人もこのようなふうでいらっしゃいました。長生きできない人がかかる病気とか、人も言っているようでございます」

 とぞのたまふ。「げに、誰も千年の松ならぬ世を」と思ふには、いと心苦しくあはれなれば、この召し寄せたる人の聞かむもつつまれず、かたはらいたき筋のことをこそ選りとどむれ、昔より思ひきこえしさまなどを、かの御耳一つには心得させながら、人はかたはにも聞くまじきさまに、さまよくめやすくぞ言ひなしたまふを、「げに、ありがたき御心ばへにも」と聞きゐたりけり。

 とおっしゃる。「なるほど、誰も千年も生きる松ではないこの世を」と思うと、まことにお気の毒でかわいそうなので、この召し寄せた人が聞くだろうことも憚らず、側で聞くとはらはらするようなことは言わないが、昔からお思い申し上げていた様子などを、あの方一人だけには分かるようにしながら、少将には変に聞こえないように、体裁よくおっしゃるのを、「なるほど、世に稀なお気持ちだ」と聞いているのであった。



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