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宿木

第九章 薫の物語 宇治で浮舟に出逢う   

2. 薫、浮舟を垣間見る      

 

本文

現代語訳

 若き人のある、まづ降りて、簾うち上ぐめり。御前のさまよりは、このおもと馴れてめやすし。また、大人びたる人いま一人降りて、「早う」と言ふに、

 若い女房がいるが、まず降りて、簾を上げるようである。御前駆の様子よりは、この女房は物馴れていて見苦しくない。また、年とった女房がもう一人降りて、「早く」と言うと、

 「あやしくあらはなる心地こそすれ」

 「妙に丸見えのような気がします」

 と言ふ声、ほのかなれどあてやかに聞こゆ。

 という声は、かすかではあるが上品に聞こえる。

 「例の御事。こなたは、さきざきも下ろし籠めてのみこそははべれ。さては、またいづこのあらはなるべきぞ」

 「いつものおことです。こちらは、以前にも格子を下ろしきってございました。それでは、どこがまた丸見えでしょうか」

 と、心をやりて言ふ。つつましげに降るるを見れば、まづ、頭つき、様体、細やかにあてなるほどは、いとよくもの思ひ出でられぬべし。扇子をつとさし隠したれば、顔は見えぬほど心もとなくて、胸うちつぶれつつ見たまふ。

 と、安心しきって言う。遠慮深そうに降りるのを見ると、まず、頭の恰好、身体つき、細くて上品な感じは、たいそうよく亡き姫君を思い出されよう。扇でぴったりと顔を隠しているので、顔の見えないところは見たくて、胸をどきどきさせながら御覧になる。

 車は高く、降るる所は下りたるを、この人びとはやすらかに降りなしつれど、いと苦しげにややみて、ひさしく降りて、ゐざり入る。濃き袿に、撫子とおぼしき細長、若苗色の小袿着たり。

 車は高くて、降りる所が低くなっていたが、この女房たちは楽々と降りたが、たいそうつらそうに困りきって、長いことかかって降りて、お部屋にいざって入る。濃い紅の袿に、撫子襲と思われる細長、若苗色の小袿を着ていた。

 四尺の屏風を、この障子に添へて立てたるが、上より見ゆる穴なれば、残るところなし。こなたをばうしろめたげに思ひて、あなたざまに向きてぞ、添ひ臥しぬる。

 四尺の屏風を、この襖障子に添えて立ててあるが、上から見える穴なので、丸見えである。こちらを不安そうに思って、あちらを向いて物に寄り臥した。

 「さも、苦しげに思したりつるかな。泉川の舟渡りも、まことに、今日はいと恐ろしくこそありつれ。この如月には、水のすくなかりしかばよかりしなりけり」

 「何とも、お疲れのようですね。泉川の舟渡りも、ほんとうに、今日はとても恐ろしかったわ。この二月には、水が浅かったのでよかったのですが」

 「いでや、歩くは、東路思へば、いづこか恐ろしからむ」

 「いやなに、出歩くことは、東国の旅を思えば、どこが恐ろしいことがありましょう」

 など、二人して苦しとも思ひたらず言ひゐたるに、主は音もせでひれ臥したり。腕をさし出でたるが、まろらかにをかしげなるほども、常陸殿などいふべくは見えず、まことにあてなり。

 などと、二人でつらいとも思わず言っているのに、主人は音も立てずに臥せっていた。腕をさし出しているのが、まるまるとかわいらしいのを、常陸殿の娘とも思えない、まことに上品である。

 やうやう腰痛きまで立ちすくみたまへど、人のけはひせじとて、なほ動かで見たまふに、若き人、

 だんだんと腰が痛くなるまで腰をかがめていらっしゃったが、人の来る感じがしないと思って、依然として動かずに御覧になると、若い女房が、

 「あな、香ばしや。いみじき香の香こそすれ。尼君の焚きたまふにやあらむ」

 「まあ、いい香りのすること。たいそうな香の匂いがしますわ。尼君が焚いていらっしゃるのかしら」

 老い人、

 老女房は、

 「まことにあなめでたの物の香や。京人は、なほいとこそ雅びかに今めかしけれ。天下にいみじきことと思したりしかど、東にてかかる薫物の香は、え合はせ出でたまはざりきかし。この尼君は、住まひかくかすかにおはすれど、装束のあらまほしく、鈍色青色といへど、いときよらにぞあるや」

 「ほんとうに何とも素晴らしい香でしょう。京の人は、やはりとても優雅で華やかでいらっしゃる。北の方さまが当地で一番だと自惚れていらしたが、東国ではこのような薫物の香は、とても合わせることができなかった。この尼君は、住まいはこのようにひっそりしていらっしゃるが、衣装が素晴らしく、鈍色や青鈍と言っても、とても美しいですね」

 など、ほめゐたり。あなたの簀子より童来て、

 などと、誉めていた。あちらの簀子から童女が来て、

 「御湯など参らせたまへ」

 「お薬湯などお召し上がりなさいませ」

 とて、折敷どもも取り続きてさし入る。果物取り寄せなどして、

 と言って、いくつもの折敷に次から次へとさし入れる。果物を取り寄せなどして、

 「ものけたまはる。これ」

 「もしもし、これを」

 など起こせど、起きねば、二人して、栗やなどやうのものにや、ほろほろと食ふも、聞き知らぬ心地には、かたはらいたくてしぞきたまへど、またゆかしくなりつつ、なほ立ち寄り立ち寄り見たまふ。

 などと言って起こすが、起きないので、二人して、栗などのようなものか、ほろほろと音を立てて食べるのも、聞いたこともない感じなので、見ていられなくて退きなさったが、再び見たくなっては、やはり立ち寄り立ち寄り御覧になる。

 これよりまさる際の人びとを、后の宮をはじめて、ここかしこに、容貌よきも心あてなるも、ここら飽くまで見集めたまへど、おぼろけならでは、目も心もとまらず、あまり人にもどかるるまでものしたまふ心地に、ただ今は、何ばかりすぐれて見ゆることもなき人なれど、かく立ち去りがたく、あながちにゆかしきも、いとあやしき心なり。

 この人より上の身分の人びとを、后宮をはじめとして、あちらこちらに、器量のよい人や気立てが上品な人をも、大勢飽きるほど御覧になったが、いいかげんな女では、目も心も止まらず、あまり人から非難されるまでまじめでいらっしゃるお気持ちには、ただ今のようなのは、どれほども素晴らしく見えることもない女であるが、このように立ち去りにくく、むやみに見ていたいのも、実に妙な心である。



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