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東屋

第一章 浮舟の物語 左近少将との縁談とその破綻   

2. 継父常陸介と求婚者左近少将      

 

本文

現代語訳

 守も卑しき人にはあらざりけり。上達部の筋にて、仲らひもものきたなき人ならず、徳いかめしうなどあれば、ほどほどにつけては思ひ上がりて、家の内もきらきらしく、ものきよげに住みなし、事好みしたるほどよりは、あやしう荒らかに田舎びたる心ぞつきたりける。

 常陸介も卑しい人ではなかったのだ。上達部の血筋を引いて、一門の人びとも見苦しい人でなく、財力など大変に有ったので、身分相応に気位高くて、邸の内も輝くように美しく、こざっぱりと生活し、風流を好むわりには、妙に荒々しく田舎人めいた性情もついていたのであった。

 若うより、さる東方の、遥かなる世界に埋もれて年経ければにや、声などほとほとうちゆがみぬべく、ものうち言ふ、すこしたみたるやうにて、豪家のあたり恐ろしくわづらはしきものに憚り懼ぢ、すべていとまたく隙間なき心もあり。

 若くから、そのような東国の方の、遥か遠い世界に埋もれて長年過ごしてきたせいか、声などもほとんど田舎風になって、何か言うと、すこし訛りがあるようで、権勢家のあたりを恐ろしく厄介なものと気兼ねし恐がって、すべての面で実に抜け目ない心がある。

 をかしきさまに琴笛の道は遠う、弓をなむいとよく引ける。なほなほしきあたりともいはず、勢ひに引かされて、よき若人ども、装束ありさまはえならず調へつつ、腰折れたる歌合せ、物語、庚申をし、まばゆく見苦しく、遊びがちに好めるを、この懸想の君達、

 風雅な方面の琴や笛の芸道には疎遠で、弓をたいそう上手に引くのであった。身分の低い家柄を問題にせず、財力につられて、よい若い女房連中が、衣装や身なりは素晴らしく整えて、下手な歌合せや、物語、庚申待ちをし、まぶしいほど見苦しく、遊び事に風流めかしているのを、この懸想の公達は、

 「らうらうじくこそあるべけれ。容貌なむいみじかなる」

 「才たけているにちがいない。器量も大変なものらしい」

 など、をかしき方に言ひなして、心を尽くし合へる中に、左近少将とて、年二十二、三ばかりのほどにて、心ばせしめやかに、才ありといふ方は、人に許されたれど、きらきらしう今めいてなどはえあらぬにや、通ひし所なども絶えて、いとねむごろに言ひわたりけり。

 などと、素晴らしいように言い作って、恋心を尽くしあっている中で、左近少将といって、年は二十二、三歳くらいで、性格が落ち着いていて、学問があるという点では、誰からも認められていたが、きらきらしく派手にはしていなかったのか、通っていた妻とも縁が切れて、たいそう熱心に言い寄って来るのであった。

 この母君、あまたかかること言ふ人びとの中に、

 この母君は、大勢このようなことを言って来る人びとの中で、

 「この君は、人柄もめやすかなり。心定まりてももの思ひ知りぬべかなるを、人もあてなりや。これよりまさりて、ことことしき際の人はた、かかるあたりを、さいへど、尋ね寄らじ」

 「この君は、人柄も無難である。思慮もしっかりしていて分別がありそうだし、人品も卑しくないな。この人以上の、立派な身分の人はまた、このようなあたりを、そうはいっても、探し求めて来るまい」

 と思ひて、この御方に取りつぎて、さるべき折々は、をかしきさまに返り事などせさせたてまつる。心一つに思ひまうく。

 と思って、この御方に取り次いで、適当な折々には、結構なように返事などをおさせ申し上げる。自分独りで心用意する。

 「守こそおろかに思ひなすとも、我は命を譲りてかしづきて、さま容貌のめでたきを見つきなば、さりとも、おろかになどは、よも思ふ人あらじ」

 「常陸介はいいかげんに思うとも、自分は命に代えて大切に世話し、容姿器量の素晴らしいのを見たならば、そうはいっても、いいかげんにまどは、けっして思う人はいまい」

 と思ひ立ち、八月ばかりと契りて、調度をまうけ、はかなき遊びものをせさせても、さまことにやうをかしう、蒔絵、螺鈿のこまやかなる心ばへまさりて見ゆるものをば、この御方にと取り隠して、劣りのを、

 と決心して、八月ぐらいにと約束して、調度を準備し、ちょっとした遊び道具を作らせても、恰好は格別に美しく、蒔絵、螺鈿のこまやかな趣向がすぐれて見える物を、この御方のために隠し置いて、劣った物を、

 「これなむよき」

 「これが結構です」

 とて見すれば、守はよくしも見知らず、そこはかとない物どもの、人の調度といふ限りは、ただとり集めて並べ据ゑつつ、目をはつかにさし出づるばかりにて、琴、琵琶の師とて、内教坊のわたりより迎へ取りつつ習はす。

 と言って見せると、常陸介はよくも分からず、これといった価値のない物どもで、世間でいう調度類という調度は、すべて集めて部屋中いっぱいに並べ据えて、目をわずかに覗かせるくらいで、琴、琵琶の師匠として、内教坊のあたりから迎え迎えして習わせる。

 手一つ弾き取れば、師を立ち居拝みてよろこび、禄を取らすること、埋むばかりにてもて騒ぐ。はやりかなる曲物など教へて、師と、をかしき夕暮などに、弾き合はせて遊ぶ時は、涙もつつまず、をこがましきまで、さすがにものめでしたり。かかることどもを、母君は、すこしもののゆゑ知りて、いと見苦しと思へば、ことにあへしらはぬを、

 一曲習得すると、師匠を立ったり座ったり拝んでお礼申し上げ、謝礼を与えることは、それで埋まるほどに啄騒ぎする。調子の早い曲などを教えて、師匠と一緒に、美しい夕暮時などに、合奏して遊ぶときは、涙も隠さず、馬鹿馬鹿しいまでに、それほど感動していた。このようなことを、母君は、少しは物事を知っていて、とても見苦しいと思うので、特に相手にしないのを、

 「吾子をば、思ひ落としたまへり」

 「わが娘を、馬鹿にしておられる」

 と、常に恨みけり。

 と、いつも恨んでいるのであった。



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