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東屋

第四章 浮舟と匂宮の物語 浮舟、匂宮に見つかり言い寄られる   

6. 匂宮、宮中へ出向く    

 

本文

現代語訳

 宮は、急ぎて出でたまふなり。内裏近き方にやあらむ、こなたの御門より出でたまへば、もののたまふ御声も聞こゆ。いとあてに限りもなく聞こえて、心ばへある古言などうち誦じたまひて過ぎたまふほど、すずろにわづらはしくおぼゆ。移し馬ども牽き出だして、宿直にさぶらふ人、十人ばかりして参りたまふ。

 宮は、急いでお出かけになる様子である。内裏に近い方からであろうか、こちらの御門からお出になるので、何かお命じになるお声が聞こえる。たいそう上品でこの上ないお声に聞こえて、風情のある古歌などを口ずさみなさってお過ぎになるところ、何となくやっかいに思われる。予備の馬を牽き出して、宿直に伺候する人を、十人ほど連れて参内なさる。

 上、いとほしく、うたて思ふらむとて、知らず顔にて、

 上は、お気の毒に、嫌な気がしているだろうと思って、知らないそぶりして、

 「大宮悩みたまふとて参りたまひぬれば、今宵は出でたまはじ。泔の名残にや、心地も悩ましくて起きゐはべるを、渡りたまへ。つれづれにも思さるらむ」

 「大宮がご病気だとて参内なさってしまったので、今夜はお帰りになりますまい。洗髪したせいか、気分もさえなくて起きておりますので、いらっしゃいませ。お寂しくいらっしゃいましょう」

 と聞こえたまへり。

 と申し上げなさった。

 「乱り心地のいと苦しうはべるを、ためらひて」

 「気分がとても悪うございますので、おさまりましてから」

 と、乳母して聞こえたまふ。

 と、乳母を通して申し上げなさる。

 「いかなる御心地ぞ」

 「どのようなご気分ですか」

 と、返り訪らひきこえたまへば、

 と、折り返してお見舞いなさるので、

 「何心地ともおぼえはべらず、ただいと苦しくはべり」

 「どこが悪いとも分かりませんが、ただとても苦しうございます」

 と聞こえたまへば、少将、右近目まじろきをして、

 と申し上げなさるので、少将と、右近は目くばせをして、

 「かたはらぞいたくおはすらむ」

 「きまり悪くお思いでしょう」

 と言ふも、ただなるよりはいとほし。

 と言うのも、誰も知らないよりはお気の毒である。

 「いと口惜しう心苦しきわざかな。大将の心とどめたるさまにのたまふめりしを、いかにあはあはしく思ひ落とさむ。かく乱りがはしくおはする人は、聞きにくく、実ならぬことをもくねり言ひ、またまことにすこし思はずならむことをも、さすがに見許しつべうこそおはすめれ。

 「とても残念でお気の毒なこと。大将が関心のあるようにおっしゃっているようであったが、どんなにか軽薄な女とさげすむであろう。こうばかり好色がましくいらっしゃる方は、聞くに堪えなく、事実でないことをもひねくり出し、また実際不都合なことがあっても、さすがに大目に見る方でいらっしゃるようだ。

 この君は、言はで憂しと思はむこと、いと恥づかしげに心深きを、あいなく思ふこと添ひぬる人の上なめり。年ごろ見ず知らざりつる人の上なれど、心ばへ容貌を見れば、え思ひ離るまじう、らうたく心苦しきに、世の中はありがたくむつかしげなるものかな。

 この君は、表面には出さないで心中に思っていることは、とてもこちらが恥ずかしいほど心深く立派だが、不本意にも心配事が加わった身の上のようだ。長年見ず知らずであった身の上の人であるが、気立てや器量を見ると、放っておくことができず、かわいらしくおいたわしいので、世の中は生きにくく難しいものだなあ。

 わが身のありさまは、飽かぬこと多かる心地すれど、かくものはかなき目も見つべかりける身の、さは、はふれずなりにけるにこそ、げに、めやすきなりけれ。今はただ、この憎き心添ひたまへる人の、なだらかにて思ひ離れなば、さらに何ごとも思ひ入れずなりなむ」

 わが身のありさまは、物足りないところが多くある気持ちがするが、このように人並みにも扱われないはずであった身の上が、そのようには、落ちぶれなかったのは、なるほど、結構なことであった。今はただ、あの憎い懸想心がおありの方が、平穏になって離れてたら、まったく何もくよくよすることはなくなるだろう」

 と思ほす。いと多かる御髪なれば、とみにもえ乾しやらず、起きゐたまへるも苦し。白き御衣一襲ばかりにておはする、細やかにてをかしげなり。

 とお思いになる。とても多い御髪なので、すぐには乾かすことができず、起きていらっしゃるのもつらい。白い御衣を一襲だけお召しになっているのは、ほっそりと美しい。



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