第四章 浮舟と匂宮の物語 浮舟、匂宮に見つかり言い寄られる
7. 中君、浮舟を慰める
本文 |
現代語訳 |
この君は、まことに心地も悪しくなりにたれど、乳母、 |
この君は、ほんとうに気分も悪くなっていたが、乳母が、 |
「いとかたはらいたし。事しもあり顔に思すらむを。ただおほどかにて見えたてまつりたまへ。右近の君などには、事のありさま、初めより語りはべらむ」 |
「とてもみっともありません。何かあったようにお思いになられましょうよ。ただおっとりとお目にかかりなさいませ。右近の君などには、事のありさまを、初めからお話しましょう」 |
と、せめてそそのかしたてて、こなたの障子のもとにて、 |
と、無理に促して、こちらの障子のもとで、 |
「右近の君にもの聞こえさせむ」 |
「右近の君にお話し申し上げたい」 |
と言へば、立ちて出でたれば、 |
と言うと、立って出て来たので、 |
「いとあやしくはべりつることの名残に、身も熱うなりたまひて、まめやかに苦しげに見えさせたまふを、いとほしく見はべる。御前にて慰めきこえさせたまへ、とてなむ。過ちもおはせぬ身を、いとつつましげに思ほしわびためるも、いささかにても世を知りたまへる人こそあれ、いかでかはと、ことわりに、いとほしく見たてまつる」 |
「とてもおかしなことのございましたせいで、熱がお出になって、ほんとうに苦しそうにお見えなさるのを、気の毒に拝見しています。御前で慰めていただきたい、と思いまして。過失もおありでない身で、とてもきまり悪そうに困っていらっしゃるのも、少しでも男女関係を経験した者ならともかく、とてもとてもそう平気でいらっしゃれまいと、ご無理もない、お気の毒なことと存じあげます」 |
とて、引き起こして参らせたてまつる。 |
と言って、起こしたててお連れ申し上げる。 |
我にもあらず、人の思ふらむことも恥づかしけれど、いとやはらかにおほどき過ぎたまへる君にて、押し出でられて居たまへり。額髪などの、いたう濡れたる、もて隠して、灯の方に背きたまへるさま、上をたぐひなく見たてまつるに、け劣るとも見えず、あてにをかし。 |
正体もなく、皆が想像しているだろうことも恥ずかしいけれど、たいそう素直でおっとりし過ぎていらっしゃる姫君で、押し出されて座っていらしゃった。額髪などが、ひどく濡れているのを。ちょっと隠して、燈火の方に背を向けていらっしゃる姿は、上をこの上なく美しいと拝見しているのと、劣るとも見えず、上品で美しい。 |
「これに思しつきなば、めざましげなることはありなむかし。いとかからぬをだに、めづらしき人、をかしうしたまふ御心を」 |
「この人にご執心なさったら、不愉快なことがきっと起ころう。これほど美しくない人でさえ、珍しい人に、ご興味をお持ちになるご性分だから」 |
と、二人ばかりぞ、御前にてえ恥ぢたまはねば、見ゐたりける。物語いとなつかしくしたまひて、 |
と、二人ばかりが、御前のこととて恥ずかしがっていらっしゃれないので、見ていた。お話をとてもやさしくなさって、 |
「例ならずつつましき所など、な思ひなしたまひそ。故姫君のおはせずなりにしのち、忘るる世なくいみじく、身も恨めしく、たぐひなき心地して過ぐすに、いとよく思ひよそへられたまふ御さまを見れば、慰む心地してあはれになむ。思ふ人もなき身に、昔の御心ざしのやうに思ほさば、いとうれしくなむ」 |
「馴れない気の置ける所などと、お思いなさいますな。故姫君がお亡くなりになって後、忘れる時もなくひどく悲しく、身も恨めしく、例のないような気持ちで過ごして来ましたが、とてもよく似ていらっしゃるご様子を見ると、慰められる気がして感慨深いです。大切に思ってくれる肉親もない身なので、故人のお気持ちのようにお思い下さったら、とても嬉しいです」 |
など語らひたまへど、いとものつつましくて、また鄙びたる心に、いらへきこえむこともなくて、 |
などとお話しになるが、とても遠慮されて、また田舎者めいた気持ちで、お答え申し上げる言葉も浮かばなくて、 |
「年ごろ、いと遥かにのみ思ひきこえさせしに、かう見たてまつりはべるは、何ごとも慰む心地しはべりてなむ」 |
「長年、とても遥か遠くにばかりお思い申し上げていましたので、このようにお目にかからせていただきますのは、すべてが思い慰められるような気がいたしております」 |
とばかり、いと若びたる声にて言ふ。 |
とだけ、とても若々しい声で言う。 |