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東屋

第六章 浮舟と薫の物語 薫、浮舟を伴って宇治へ行く   

2. 薫、弁の尼に依頼して出る    

 

本文

現代語訳

 「などてか。ともかくも、人の聞き伝へばこそあらめ、愛宕の聖だに、時に従ひては出でずやはありける。深き契りを破りて、人の願ひを満てたまはむこそ尊からめ」

 「どうしてそんなことが。どうするにせよ、誰かが伝え聞いて言うならともかく、愛宕の聖でさえ、場合によっては出ないことがあろうか。固い誓いを破って、人の願いをお満たしになるのが尊いことです」

 とのたまへば、

 とおっしゃると、

 「人渡すこともはべらぬに、聞きにくきこともこそ、出でまうで来れ」

 「衆生済度の徳もございませんのに、聞き苦しい噂も、出て来ましょう」

 と、苦しげに思ひたれど、

 と言って、困ったことに思っていたが、

 「なほ、よき折なるを」

 「やはり、ちょうどよい機会だから」

 と、例ならずしひて、

 と、いつもと違って無理強いして、

 「明後日ばかり、車たてまつらむ。その旅の所尋ねおきたまへ。ゆめをこがましうひがわざすまじきを」

 「明後日ぐらいに、車を差し向けましょう。その仮住まいの家を調べておいてください。けっして馬鹿げたまちがいはしませんから」

 と、ほほ笑みてのたまへば、わづらはしく、「いかに思すことならむ」と思へど、「奥なくあはあはしからぬ御心ざまなれば、おのづからわがためにも、人聞きなどは包みたまふらむ」と思ひて、

 と、微笑んでおっしゃるので、やっかいで、「どのようにお考えなのだろう」と思うが、「浅薄で軽々しくないご性質なので、自然とご自分のためにも、外聞はお慎みになっていらっしゃるだろう」と思って、

 「さらば、承りぬ。近きほどにこそ。御文などを見せさせたまへかし。ふりはへさかしらめきて、心しらひのやうに思はれはべらむも、今さらに伊賀専女にや、と慎ましくてなむ」

 「それでは、承知いたしました。お近くですから。お手紙などをおやりくださいませ。わざわざ利口ぶって、取り持ちを買って出たようにとられますのも、今さら伊賀専女のようではないかしら、と気がひけます」

 と聞こゆ。

 と申し上げる。

 「文は、やすかるべきを、人のもの言ひ、いとうたてあるものなれば、右大将は、常陸守の娘をなむよばふなるなども、とりなしてむをや。その守の主、いと荒々しげなめり」

 「手紙は、簡単でしょうが、人の噂が、とてもうるさいものですから、右大将は、常陸介の娘に求婚しているそうだなどとも、取り沙汰しようから。その介の殿は、とても荒々しい人のようですね」

 とのたまへば、うち笑ひて、いとほしと思ふ。

 とおっしゃると、ふと笑って、お気の毒にと思う。

 暗うなれば出でたまふ。下草のをかしき花ども、紅葉など折らせたまひて、宮に御覧ぜさせたまふ。甲斐なからずおはしぬべけれど、かしこまり置きたるさまにて、いたうも馴れきこえたまはずぞあめる。内裏より、ただの親めきて、入道の宮にも聞こえたまへば、いとやむごとなき方は、限りなく思ひきこえたまへり。こなたかなたと、かしづききこえたまふ宮仕ひに添へて、むつかしき私の心の添ひたるも、苦しかりけり。

 暗くなったのでお出になる。木の下草が美しい花々や、紅葉などを折らせなさって、宮に御覧にお入れなさる。ご結婚の効がなくはなくいらっしゃるようだが、畏れ敬っているような感じで、たいそうお親しみ申し上げずにいるようである。帝から、普通の親のように、入道の宮にもお頼み申し上げなさっているので、たいそう重々しい点では、この上なくお思い申し上げていらっしゃった。あちらからもこちらからも、大切にされなさるお世話に加えて、やっかいな執心が加わったのが、つらいことであった。



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