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東屋

第六章 浮舟と薫の物語 薫、浮舟を伴って宇治へ行く   

5. 薫と浮舟、宇治へ出発    

 

本文

現代語訳

 ほどもなう明けぬ心地するに、鶏などは鳴かで、大路近き所に、おぼとれたる声して、いかにとか聞きも知らぬ名のりをして、うち群れて行くなどぞ聞こゆる。かやうの朝ぼらけに見れば、ものいただきたる者の、「鬼のやうなるぞかし」と聞きたまふも、かかる蓬のまろ寝にならひたまはぬ心地も、をかしくもありけり。

 まもなく夜が明けてしまう気がするのに、鶏などは鳴かないで、大路に近い所で間のびした声で、何とも聞いたことのない物売りの呼び上げる声がして、連れ立って行くのなどが聞こえる。このような朝ぼらけに見ると、品物を頭の上に乗せている姿が、「鬼のような恰好だ」とお聞きになっているのも、このような蓬生の宿でごろ寝をした経験もおありでないので、興味深くもあった。

 宿直人も門開けて出づる音する。おのおの入りて臥しなどするを聞きたまひて、人召して、車妻戸に寄せさせたまふ。かき抱きて乗せたまひつ。誰れも誰れも、あやしう、あへなきことを思ひ騒ぎて、

 宿直人も門を開けて出る音がする。それぞれ中に入って横になる音などをお聞きになって、人を呼んで、車を妻戸に寄せさせなさる。抱き上げてお乗せになった。誰も彼もが、おかしな、どうしようもないことだとあわてて、

 「九月にもありけるを。心憂のわざや。いかにしつることぞ」

 「九月でもありますのに。情けないことです。どうなさるのですか」

 と嘆けば、尼君も、いといとほしく、思ひの外なることどもなれど、

 と嘆くと、尼君も、とてもお気の毒になって、意外なことだったが、

 「おのづから思すやうあらむ。うしろめたうな思ひたまひそ。長月は、明日こそ節分と聞きしか」

 「自然とお考えのことがあるのでしょう。不安にお思いなさるな。九月は、明日が節分だと聞きました」

 と言ひ慰む。今日は、十三日なりけり。尼君、

 と言って慰める。今日は、十三日であった。尼君は、

 「こたみは、え参らじ。宮の上、聞こし召さむこともあるに、忍びて行き帰りはべらむも、いとうたてなむ」

 「今回は、同行できません。宮の上が、お聞きになることもありましょうから、こっそりと行ったり来たりいたしますのも、まことに具合が悪うございます」

 と聞こゆれど、まだきこのことを聞かせたてまつらむも、心恥づかしくおぼえたまひて、

 と申し上げるが、早々にこの事をお聞かせ申し上げるのも、恥ずかしく思われなさって、

 「それは、のちにも罪さり申したまひてむ。かしこもしるべなくては、たづきなき所を」

 「それは、後からお詫び申してもお済みになることでしょう。あちらでも案内する人がいなくては、頼りない所ですから」

 と責めてのたまふ。

 とお責めになる。

 「人一人や、はべるべき」

 「誰か一人、お供しなさい」

 とのたまへば、この君に添ひたる侍従と乗りぬ。乳母、尼君の供なりし童などもおくれて、いとあやしき心地してゐたり。

 とおっしゃると、この君に付き添っている侍従と乗った。乳母は、尼君の供をして来た童女などもとり残されて、まことに何が何やら分からぬ気持ちでいた。



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