第五章 浮舟の物語 浮舟、恋の板ばさみに、入水を思う
2. その同じ頃、薫からも手紙が届く
本文 |
現代語訳 |
これかれと見るもいとうたてあれば、なほ言多かりつるを見つつ、臥したまへれば、侍従、右近、見合はせて、 |
あれこれと見るのも嫌な気がするので、やはり長々とあった方を見ながら、臥せっていらっしゃると、侍従と、右近とが、顔を見合わせて、 |
「なほ、移りにけり」 |
「やはり、心が移ったわ」 |
など、言はぬやうにて言ふ。 |
などと、声に出さないで目で言っている。 |
「ことわりぞかし。殿の御容貌を、たぐひおはしまさじと見しかど、この御ありさまはいみじかりけり。うち乱れたまへる愛敬よ。まろならば、かばかりの御思ひを見る見る、えかくてあらじ。后の宮にも参りて、常に見たてまつりてむ」 |
「無理もないことです。殿のご器量を、他にいらっしゃらないと見たが、こちらの宮のご容姿は大変なものでした。おふざけになっていらした愛嬌は。わたしならば、これほどのご愛情を見ては、とてもこうしていられません。后の宮様にでも出仕して、いつも拝見していたい」 |
と言ふ。右近、 |
と言う。右近は、 |
「うしろめたの御心のほどや。殿の御ありさまにまさりたまふ人は、誰れかあらむ。容貌などは知らず、御心ばへけはひなどよ。なほ、この御ことは、いと見苦しきわざかな。いかがならせたまはむとすらむ」 |
「安心できないお方ですよ。殿のご様子に勝る方は、誰がいらっしゃいましょうか。器量などは知りませんが、お心づかいや感じなどがね。やはり、このご関係は、とても見苦しいことですね。どのようにおなりあそばそうとするのでしょうか」 |
と、二人して語らふ。心一つに思ひしよりは、虚言もたより出で来にけり。 |
と、二人で相談する。独りで考えるよりは、嘘をつくにもよい助けが出て来たのであった。 |
後の御文には、 |
後者のお手紙には、 |
「思ひながら日ごろになること。時々は、それよりも驚かいたまはむこそ、思ふさまならめ。おろかなるにやは」 |
「思い続けながら幾日にもなったこと。時々は、そちらからもお手紙をお書きになることが、理想的でしょう。並々には思っていません」 |
など、端書きに、 |
などと、端に、 |
「水まさる遠方の里人いかならむ 晴れぬ長雨にかき暮らすころ |
「川の水が増す宇治の里人はどのようにお過ごしでしょうか 晴れ間も見せず長雨が降り続き、物思いに耽っていらっしゃる今日このごろ |
常よりも、思ひやりきこゆることまさりてなむ」 |
いつもよりも、思うことが多くて」 |
と、白き色紙にて立文なり。御手もこまかにをかしげならねど、書きざまゆゑゆゑしく見ゆ。宮は、いと多かるを、小さく結びなしたまへる、さまざまをかし。 |
と、白い色紙で立文である。ご筆跡もこまやかで美しくはないが、書き方は教養ありげに見える。宮は、とても言葉数多いのを、小さく結んでいらっしゃるのは、それぞれに興趣深い。 |
「まづ、かれを、人見ぬほどに」 |
「とりあえず、あれを。誰も見ていないうちに」 |
と聞こゆ。 |
とお促し申す。 |
「今日は、え聞こゆまじ」 |
「今日は、お返事申し上げることができません」 |
と恥ぢらひて、手習に、 |
と恥じらって、手習に、 |
「里の名をわが身に知れば山城の 宇治のわたりぞいとど住み憂き」 |
「里の名をわが身によそえると 山城の宇治の辺りはますます住みにくいことよ」 |
宮の描きたまへりし絵を、時々見て泣かれけり。「ながらへてあるまじきことぞ」と、とざまかうざまに思ひなせど、他に絶え籠もりてやみなむは、いとあはれにおぼゆべし。 |
宮がお描きになった絵を、時々見ては自然涙がこぼれた。「このまま末長く続くものではない」と、あれやこれやと考えてみるが、他には関係をすっかり断ってお逢いしないのは、とても耐えられなく思われるのであろう。 |
「かき暮らし晴れせぬ峰の雨雲に 浮きて世をふる身をもなさばや |
「真っ暗になって晴れない峰の雨雲のように 空にただよう煙となってしまいたい |
混じりなば」 |
雲に混じったら」 |
と聞こえたるを、宮は、よよと泣かれたまふ。「さりとも、恋しと思ふらむかし」と思しやるにも、もの思ひてゐたらむさまのみ面影に見えたまふ。 |
と申し上げたので、宮は、声を上げて泣かれる。「死にたいとはいえ、恋しいと思っているらしい」とご想像なさるにも、物思いに沈んでいる様子ばかりが面影にお見えになる。 |
まめ人は、のどかに見たまひつつ、「あはれ、いかに眺むらむ」と思ひやりて、いと恋し。 |
真面目人間は、のんびりと御覧になりながら、「ああ、どのような思いでいるのだろう」と想像して、たいそう恋しい。 |
「つれづれと身を知る雨の小止まねば 袖さへいとどみかさまさりて」 |
「寂しくわが身を知らされる雨が小止みもなく降り続くので 袖までが涙でますます濡れてしまいます」 |
とあるを、うちも置かず見たまふ。 |
とあるのを、下にも置かず御覧になる。 |