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蜻蛉

第四章 薫の物語 薫、浮舟の法事を営む   

7. 常陸介、浮舟の死を悼む   

 

本文

現代語訳

 かしこには、常陸守、立ちながら来て、「折しも、かくてゐたまへることなむ」と腹立つ。年ごろ、いづくになむおはするなど、ありのままにも知らせざりければ、「はかなきさまにておはすらむ」と思ひ言ひけるを、「京になど迎へたまひて後、面目ありて、など知らせむ」と思ひけるほどに、かかれば、今は隠さむもあいなくて、ありしさま泣く泣く語る。

 あちらでは、常陸介が、やって来て立ったままで、「こんな時に、こうしておいでになるとは」と腹を立てる。長年、どこそこにいらっしゃるなどと、事実を知らせなかったので、「見すぼらしい有様でおいでになろう」と思い言ってもいたが、「京などにお迎えになった後は、名誉なことで、などと知らせよう」と思っていたうちに、このような事になってしまったので、今は隠すことも意味がなくて、生前の有様を泣きながら話す。

 大将殿の御文もとり出でて見すれば、よき人かしこくして、鄙び、ものめでする人にて、おどろき臆して、うち返しうち返し、

 大将殿のお手紙も取り出して見せると、貴人を崇めて、田舎者で、何事にも感心する人なので、びっくりして気後れして、繰り返し繰り返し、

 「いとめでたき御幸ひを捨てて亡せたまひにける人かな。おのれも殿人にて、参り仕うまつれども、近く召し使ふこともなく、いと気高く思はする殿なり。若き者どものこと仰せられたるは、頼もしきことになむ」

 「まことにめでたいご幸運を捨ててお亡くなりになった人だなあ。自分も殿の家来として、参上してお仕えしていたが、近くにお召しになってお使いになることはなく、たいそう気高く思われる殿である。幼い子供たちのことをおっしゃってくださったのは、頼もしいことだ」

 など、喜ぶを見るにも、「まして、おはせましかば」と思ふに、臥しまろびて泣かる。

 などと、喜ぶのを見るにつけても、「それ以上に、生きておいでになったら」と思うと、臥し転んで泣けてくる。

 守も今なむうち泣きける。さるは、おはせし世には、なかなか、かかるたぐひの人しも、尋ねたまふべきにしもあらずかし。「わが過ちにて失ひつるもいとほし。慰めむ」と思すよりなむ、「人の誹り、ねむごろに尋ねじ」と思しける。

 介も今になって泣くのであった。その反面、生きていらした時には、かえって、このような類の人を、お尋ねになるようなことはなかってたのだ。「自分の過失によって亡くしたのもお気の毒だ。慰めよう」とお思いになったため、「他人の非難は、こまごまと考えまい」とお思いなのであった。



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