第六章 薫の物語 薫、断腸の秋の思い
1. 女一の宮から妹二の宮への手紙
本文 |
現代語訳 |
その後、姫宮の御方より、二の宮に御消息ありけり。御手などの、いみじううつくしげなるを見るにも、いとうれしく、「かくてこそ、とく見るべかりけれ」と思す。 |
その後、姫宮の御方から、二の宮にお便りがあったのだった。ご筆跡などが、たいそうかわいらしそうなのを見るにつけ、実に嬉しく、「こうしてこそ、もっと早く見るべきであった」とお思いになる。 |
あまたをかしき絵ども多く、大宮もたてまつらせたまへり。大将殿、うちまさりてをかしきども集めて、参らせたまふ。芹川の大将の遠君の、女一の宮思ひかけたる秋の夕暮に、思ひわびて出でて行きたる画、をかしう描きたるを、いとよく思ひ寄せらるかし。「かばかり思し靡く人のあらましかば」と思ふ身ぞ口惜しき。 |
たくさんの趣のある絵をたくさん、大宮も差し上げあそばした。大将殿は、それ以上に趣のある絵を集めて、差し上げなさる。芹川の大将が遠君の、女一の宮に懸想をしている秋の夕暮に、思いあまって出かけて行った絵が、趣深く描けているのを、とてもよくわが身に思い当たるのである。「あれほどまで思い靡いてくださる方があったら」と思うわが身が残念である。 |
「荻の葉に露吹き結ぶ秋風も 夕べぞわきて身にはしみける」 |
「荻の葉に露が結んでいる上を吹く秋風も 夕方には特に身にしみて感じられる」 |
と書きても添へまほしく思せど、 |
と書き添えたく思うが、 |
「さやうなるつゆばかりのけしきにても漏りたらば、いとわづらはしげなる世なれば、はかなきことも、えほのめかし出づまじ。かくよろづに何やかやと、ものを思ひの果ては、昔の人のものしたまはましかば、いかにもいかにも他ざまに心分けましや。 |
「そのようなのを少しの様子にでも漏らしたら、とてもやっかいそうな世の中であるから、ちょっとしたことも、ちらっと出すことができない。このようにいろいろと何やかやと、憂愁を重ねた果てに思うことは、亡き大君が生きていらっしゃったら、どうして他の女に心を傾けたりしようか。 |
時の帝の御女を賜ふとも、得たてまつらざらまし。また、さ思ふ人ありと聞こし召しながらは、かかることもなからましを、なほ心憂く、わが心乱りたまひける橋姫かな」 |
今上の帝の内親王を賜うといっても、頂戴はしなかったろうに。また、そのように思う女がいるとお耳にあそばしながら、このようなことはなかったろうが、やはり情けなく、わたしの心を乱しなさった宇治の橋姫だなあ」 |
と思ひあまりては、また宮の上にとりかかりて、恋しうもつらくも、わりなきことぞ、をこがましきまで悔しき。これに思ひわびて、さしつぎには、あさましくて亡せにし人の、いと心幼く、とどこほるところなかりける軽々しさをば思ひながら、さすがにいみじとものを、思ひ入りけむほど、わがけしき例ならずと、心の鬼に嘆き沈みてゐたりけむありさまを、聞きたまひしも思ひ出でられつつ、 |
と思い余って、また宮の上に執着して、恋しく切なく、どうにもしようがないのを、馬鹿らしく思うまで悔しい。この方に思い悩んで、その次には、呆れた恰好で亡くなった人が、とても思慮浅く、思いとどまるところのなかった軽率さを思いながら、やはり大変なことになったと、思いつめていたほどを、わたしの態度がいつもと違っていると、良心の呵責に苛まれて嘆き沈んでいた様子を、お聞きになったことも思い出されて、 |
「重りかなる方ならで、ただ心やすくらうたき語らひ人にてあらせむ、と思ひしには、いとらうたかりし人を。思ひもていけば、宮をも思ひきこえじ。女をも憂しと思はじ。ただわがありさまの世づかぬおこたりぞ」 |
「重々しい方としての扱いでなく、ただ気安くかわいらしい愛人としておこう、と思ったわりには、実にかわいらしい人であったよ。思い続けると、宮をお恨み申すまい。女をもひどいと思うまい。ただわが人生が世間ずれしていない失敗なのだ」 |
など、眺め入りたまふ時々多かり。 |
などと、物思いに耽りなさる時々が多かった。 |