第三章 浮舟の物語 中将、浮舟に和歌を贈る
5. 中将、帰途に浮舟に和歌を贈る
本文 |
現代語訳 |
またの日、帰りたまふにも、「過ぎがたくなむ」とておはしたり。さるべき心づかひしたりければ、昔思ひ出でたる御まかなひの少将の尼なども、袖口さま異なれども、をかし。いとどいや目に、尼君はものしたまふ。物語のついでに、 |
翌日、お帰りになる時、「素通りできにくくて」と言っていらっしゃった。しかるべき用意などしていたので、昔が思い出されるお世話の少将の尼なども、袖口の色は異なっているが、趣がある。ますます涙がちの目で、尼君はいらっしゃる。話のついでに、 |
「忍びたるさまにものしたまふらむは、誰れにか」 |
「こっそりと姿を隠していらっしゃるような方は、どなたですか」 |
と問ひたまふ。わづらはしけれど、ほのかにも見つけてけるを、隠し顔ならむもあやしとて、 |
とお尋ねになる。厄介なことだが、ちらっと見つけたのを、隠しているようなのも変だと思って、 |
「忘れわびはべりて、いとど罪深うのみおぼえはべりつる慰めに、この月ごろ見たまふる人になむ。いかなるにか、いともの思ひしげきさまにて、世にありと人に知られむことを、苦しげに思ひてものせらるれば、かかる谷の底には誰れかは尋ね聞かむ、と思ひつつはべるを、いかでかは聞きあらはさせたまへらむ」 |
「忘れかねまして、ますます罪深くばかり思われましたその慰めに、ここ数か月お世話している人です。どのような理由でか、とても悲しみの深い様子で、この世に生きていると誰からも知られることを、つらいことに思っておいでなので、このような山あいの奥深くまで誰がお尋ね求めよう、と思っておりましたが、どうしてお聞きつけあそばしたのですか」 |
といらふ。 |
と答える。 |
「うちつけ心ありて参り来むにだに、山深き道のかことは聞こえつべし。まして、思しよそふらむ方につけては、ことことに隔てたまふまじきことにこそは。いかなる筋に世を恨みたまふ人にか。慰めきこえばや」 |
「一時の物好きな心があってやって来るのでさえ、山深い道の恨み言は申し上げましょう。まして、亡き姫君の代わりとお思いなさっていることでは、まったく関係ないこととお隔てになることでしょうか。どのようなことで、この世を厭いなさる人なのでしょうか。お慰め申し上げたい」 |
など、ゆかしげにのたまふ。 |
などと、関心深そうにおっしゃる。 |
出でたまふとて、畳紙に、 |
お帰りになるに当たって、畳紙に、 |
「あだし野の風になびくな女郎花 我しめ結はむ道遠くとも」 |
「浮気な風に靡くなよ、女郎花 わたしのものとなっておくれ、道は遠いけれども」 |
と書きて、少将の尼して入れたり。尼君も見たまひて、 |
と書いて、少将の尼を介して入れた。尼君も御覧になって、 |
「この御返り書かせたまへ。いと心にくきけつきたまへる人なれば、うしろめたくもあらじ」 |
「このお返事をお書きあそばせ。とても奥ゆかしいところのおありの方だから、不安なことはありますまい」 |
とそそのかせば、 |
と促すと、 |
「いとあやしき手をば、いかでか」 |
「ひどく醜い筆跡を、どうして」 |
とて、さらに聞きたまはねば、 |
と言って、まったく承知なさらないので、 |
「はしたなきことなり」 |
「体裁の悪きことです」 |
とて、尼君、 |
と言って、尼君が、 |
「聞こえさせつるやうに、世づかず、人に似ぬ人にてなむ。 |
「申し上げましたように、世間知らずで、普通の人とは違っておりますので。 |
移し植ゑて思ひ乱れぬ女郎花 憂き世を背く草の庵に」 |
ここに移し植えて困ってしまいました、女郎花です 嫌な世の中を逃れたこの草庵で」 |
とあり。「こたみは、さもありぬべし」と、思ひ許して帰りぬ。 |
とある。「今回は、きっとそういうことだろう」と大目に見て帰った。 |