第四章 浮舟の物語 浮舟、尼君留守中に出家す
3. 中将来訪、浮舟別室に逃げ込む
本文 |
現代語訳 |
月さし出でてをかしきほどに、昼文ありつる中将おはしたり。「あな、うたて。こは、なにぞ」とおぼえたまへば、奥深く入りたまふを、 |
月が出て美しいころに、昼に手紙のあった中将がおいでになった。「まあ、嫌な。これは、どうしたことか」と思われなさって、奥深いところにお入りになるのを、 |
「さも、あまりにもおはしますものかな。御心ざしのほども、あはれまさる折にこそはべるめれ。ほのかにも、聞こえたまはむことも聞かせたまへ。しみつかむことのやうに思し召したるこそ」 |
「そうなさるとは、あまりのお振る舞いでいらっしゃいますわ。ご厚志も、ひとしお身にしむときでございましょう。ちらっとでも申し上げなさるお言葉をお聞きなさいませ。それだけでも深い仲になったようにお思いあそばしているとは」 |
など言ふに、いとはしたなくおぼゆ。おはせぬよしを言へど、昼の使の、一所など問ひ聞きたるなるべし、いと言多く怨みて、 |
などと言うので、とても不安に思われる。いらっしゃらない旨を言うが、昼の使者が、一人残っていると尋ね聞いたのであろう、とても長々と恨み言をいって、 |
「御声も聞きはべらじ。ただ、気近くて聞こえむことを、聞きにくしともいかにとも、思しことわれ」 |
「お声も聞かなくて結構です。ただ、お側近くで申し上げることを、聞きにくいとも何なりとも、どうぞご判断くださいませ」 |
と、よろづに言ひわびて、 |
と、あれこれ言いあぐねて、 |
「いと心憂く。所につけてこそ、もののあはれもまされ。あまりかかるは」 |
「まことに情けない。場所に応じてこそ、物のあわれもまさるものです。これではあんまりです」 |
など、あはめつつ、 |
などと、非難しながら、 |
「山里の秋の夜深きあはれをも もの思ふ人は思ひこそ知れ |
「山里の秋の夜更けの情趣を 物思いなさる方はご存知でしょう |
おのづから御心も通ひぬべきを」 |
自然とお心も通じ合いましょうに」 |
などあれば、 |
などと言うので、 |
「尼君おはせで、紛らはしきこゆべき人もはべらず。いと世づかぬやうならむ」 |
「尼君がいらっしゃらないので、うまく取り繕い申し上げる者もいません。とても世間知らずのようでしょう」 |
と責むれば、 |
と責めるので、 |
「憂きものと思ひも知らで過ぐす身を もの思ふ人と人は知りけり」 |
「情けない身の上とも分からずに暮らしているわたしを 物思う人だと他人が分かるのですね」 |
わざといらへともなきを、聞きて伝へきこゆれば、いとあはれと思ひて、 |
特に返歌というのでもないのを、聞いてお伝え申し上げると、とても感激して、 |
「なほ、ただいささか出でたまへ、と聞こえ動かせ」 |
「もっと、もう少しだけでもお出でください、とお勧め申せ」 |
と、この人びとをわりなきまで恨みたまふ。 |
と、この女房たちを困り果てるまで恨み言をおっしゃる。 |
「あやしきまで、つれなくぞ見えたまふや」 |
「変なまでに、冷淡にお見えになることです」 |
とて、入りて見れば、例はかりそめにもさしのぞきたまはぬ老い人の御方に入りたまひにけり。あさましう思ひて、「かくなむ」と聞こゆれば、 |
と言って、奥に入って見ると、いつもは少しもお入りにならない老人のお部屋にお入りになっていたのであった。驚きあきれて、「これこれです」と申し上げると、 |
「かかる所に眺めたまふらむ心の内のあはれに、おほかたのありさまなども、情けなかるまじき人の、いとあまり思ひ知らぬ人よりも、けにもてなしたまふめるこそ。それ物懲りしたまへるか。なほ、いかなるさまに世を恨みて、いつまでおはすべき人ぞ」 |
「このような所で物思いに耽っていらっしゃる方のご心中がお気の毒で、世間一般の様子などにつけても情けの分からない方ではないはずなのに、まるで情けを分からない人よりも、冷淡なおあしらいなさるようです。それも何かひどい経験をなさってのことだろうか。やはり、どのようなことで世の中を厭って、いつまでここにいらっしゃる予定の方ですか」 |
など、ありさま問ひて、いとゆかしげにのみ思いたれど、こまかなることは、いかでかは言ひ聞かせむ。ただ、 |
などと、様子を尋ねて、たいそう知りたげにお思いになっているが、詳細なことはどうして申し上げられよう。ただ、 |
「知りきこえたまふべき人の、年ごろは、疎々しきやうにて過ぐしたまひしを、初瀬に詣であひたまひて、尋ねきこえたまひつる」 |
「お世話申し上げなさらねばならない方で、長年、疎遠な関係で過していらっしゃったのを、互いに初瀬に参詣なさって、お探し申し上げなさったのです」 |
とぞ言ふ。 |
と言う。 |