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手習

第五章 浮舟の物語 浮舟、出家後の物語   

3. 中将からの和歌に返歌す   

 

本文

現代語訳

 同じ筋のことを、とかく書きすさびゐたまへるに、中将の御文あり。もの騒がしう呆れたる心地しあへるほどにて、「かかること」など言ひてけり。いとあへなしと思ひて、

 同じような内容を、あれこれ気の向くまま書いていらっしゃるところに、中将からのお手紙がある。何かと騒がしくあきれて動転しているときなので、「これこれしかじかの事でした」などと返事したのだった。たいそうがっかりして、

 「かかる心の深くありける人なりければ、はかなきいらへをもしそめじと、思ひ離るるなりけり。さてもあへなきわざかな。いとをかしく見えし髪のほどを、たしかに見せよと、一夜も語らひしかば、さるべからむ折に、と言ひしものを」

 「このような考えが深くあった人だったので、ちょっとした返事も出すまいと、思い離れていたのだなあ。それにしてもがっかりしたなあ。たいそう美しく見えた髪を、はっきりと見せてくださいと、先夜も頼んだところ、適当な機会に、と言っていたものを」

 と、いと口惜しうて、立ち返り、

 と、たいそう残念で、すぐ折り返して、

 「聞こえむ方なきは、

 「何とも申し上げようのない気持ちは、

  岸遠く漕ぎ離るらむ海人舟に

  乗り遅れじと急がるるかな」

  岸から遠くに漕ぎ離れて行く海人舟に

  わたしも乗り後れまいと急がれる気がします」

 例ならず取りて見たまふ。もののあはれなる折に、今はと思ふもあはれなるものから、いかが思さるらむ、いとはかなきものの端に、

 いつもと違って取って御覧になる。何となくしみじみとした時に、これで終わりと思うのも感慨深いが、どのようにお思いなさったのだろう、とても粗末な紙の端に、

 「心こそ憂き世の岸を離るれど

  行方も知らぬ海人の浮木を」

 「心は厭わしい世の中を離れたが

  その行く方もわからず漂っている海人の浮木です」

 と、例の、手習にしたまへるを、包みてたてまつる。

 と、いつもの、手習いなさっていたのを、包んで差し上げる。

 「書き写してだにこそ」

 「せめて書き写して」

 とのたまへど、

 とおっしゃるが、

 「なかなか書きそこなひはべりなむ」

 「かえって書き損じましょう」

 とてやりつ。めづらしきにも、言ふ方なく悲しうなむおぼえける。

 と言って送った。珍しいにつけても、何とも言いようなく悲しく思われるのだった。

 物詣での人帰りたまひて、思ひ騒ぎたまふこと、限りなし。

 物詣での人はお帰りになって、悲しみ驚きなさること、この上ない。

 「かかる身にては、勧めきこえむこそは、と思ひなしはべれど、残り多かる御身を、いかで経たまはむとすらむ。おのれは、世にはべらむこと、今日、明日とも知りがたきに、いかでうしろやすく見たてまつらむと、よろづに思ひたまへてこそ、仏にも祈りきこえつれ」

 「このような尼の身としては、お勧め申すのこそが本来だ、と思っていますが、将来の長いお身の上を、どのようにお過ごしなさるのでしょうか。わたしが、この世に生きておりますことは、今日、明日とも分からないのに、何とか安心してお残し申してゆこうと、いろいろと考えまして、仏様にもお祈り申し上げておりましたのに」

 と、伏しまろびつつ、いといみじげに思ひたまへるに、まことの親の、やがて骸もなきものと、思ひ惑ひたまひけむほど推し量るるぞ、まづいと悲しかりける。例の、いらへもせで背きゐたまへるさま、いと若くうつくしげなれば、「いとものはかなくぞおはしける御心なれ」と、泣く泣く御衣のことなど急ぎたまふ。

 と、泣き臥し倒れながら、ひどく悲しげに思っていらっしゃるので、実の母親が、あのまま亡骸さえないものよと、お嘆き悲しみなさったろうことが推量されるのが、まっさきにとても悲しかった。いつものように、返事もしないで背を向けていらっしゃる様子、とても若々しくかわいらしいので、「とても頼りなくいらっしゃるお心だこと」と、泣きながら御法衣のことなど準備なさる。

 鈍色は手馴れにしことなれば、小袿、袈裟などしたり。ある人びとも、かかる色を縫ひ着せたてまつるにつけても、「いとおぼえず、うれしき山里の光と、明け暮れ見たてまつりつるものを、口惜しきわざかな」

 鈍色の法衣は手馴れたことなので、小袿や、袈裟などを仕立てた。仕えている女房たちも、このような色を縫ってお着せ申し上げるにつけても、「まことに思いがけず、嬉しい山里の光明だと、明け暮れ拝しておりましたものを、残念なことだわ」

 と、あたらしがりつつ、僧都を恨み誹りけり。

 と惜しがりながら、僧都を恨み非難するのであった。



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