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手習

第五章 浮舟の物語 浮舟、出家後の物語   

2. 浮舟、手習に心を託す   

 

本文

現代語訳

 皆人びと出で静まりぬ。夜の風の音に、この人びとは、

 僧都一行の人びとが出て行って静かになった。夜の風の音に、この人びとは、

 「心細き御住まひも、しばしのことぞ。今いとめでたくなりたまひなむ、と頼みきこえつる御身を、かくしなさせたまひて、残り多かる御世の末を、いかにせさせたまはむとするぞ。老い衰へたる人だに、今は限りと思ひ果てられて、いと悲しきわざにはべる」

 「心細いご生活も、もうしばらくの間のことだ。すぐにとても素晴らしい良縁がおありになろう、と期待申していたお身の上を、このようになさって、生い先長いご将来を、どのようになさろうとするのだろうか。老いて弱った人でさえ、今は最期と思われて、とても悲しい気がするものでございます」

 と言ひ知らすれど、「なほ、ただ今は、心やすくうれし。世に経べきものとは、思ひかけずなりぬるこそは、いとめでたきことなれ」と、胸のあきたる心地ぞしたまひける。

 と言って聞かせるが、「やはり、ただ今は、気が楽になって嬉しい。この世に生きて行かねばならないと、考えずにすむようになったことは、とても結構なことだ」と、胸がほっとした気がなさるのであった。

 翌朝は、さすがに人の許さぬことなれば、変はりたらむさま見えむもいと恥づかしく、髪の裾の、にはかにおぼとれたるやうに、しどけなくさへ削がれたるを、「むつかしきことども言はで、つくろはむ人もがな」と、何事につけても、つつましくて、暗うしなしておはす。思ふことを人に言ひ続けむ言の葉は、もとよりだにはかばかしからぬ身を、まいてなつかしうことわるべき人さへなければ、ただ硯に向かひて、思ひあまる折には、手習をのみ、たけきこととは、書きつけたまふ。

 翌朝は、何といっても人の認めない出家なので、尼姿を見せるのもとても恥ずかしく、髪の裾が、急にばらばらになったように、しかもだらしなく削がれているのを、「うるさいことを言わないで、繕ってくれる人がいたら」と、何事につけても、気がねされて、あたりをわざと暗くしていらっしゃる。思っていることを人に詳しく説明するようなことは、もともと上手でない身なのに、まして親しく事の経緯を説明するにふさわしい人さえいないので、ただ硯に向かって、思い余る時は、手習いだけを、精一杯の仕事として、お書きになる。

 「なきものに身をも人をも思ひつつ

  捨ててし世をぞさらに捨てつる

 「死のうとわが身をも人をも思いながら

  捨てた世をさらにまた捨てたのだ

 今は、かくて限りつるぞかし」

 今は、こうしてすべてを終わりにしたのだ」

 と書きても、なほ、みづからいとあはれと見たまふ。

 と書いても、やはり、自然としみじみと御覧になる。

 「限りぞと思ひなりにし世の中を

  返す返すも背きぬるかな」

 「最期と思い決めた世の中を

  繰り返し背くことになったわ」



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