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手習

第六章 浮舟の物語 薫、浮舟生存を聞き知る   

2. 大尼君の孫、紀伊守、山荘に来訪   

 

本文

現代語訳

 大尼君の孫の紀伊守なりける、このころ上りて来たり。三十ばかりにて、容貌きよげに誇りかなるさましたり。

 大尼君の孫で紀伊守であった者が、このころ上京して来た。三十歳ほどで、容貌も美しげで誇らしい様子をしていた。

 「何ごとか、去年、一昨年」

 「いかがでしたか、去年や、一昨年は」

 など問ふに、ほけほけしきさまなれば、こなたに来て、

 などとお尋ねになるが、耄碌した様子なので、こちらに来て、

 「いとこよなくこそ、ひがみたまひにけれ。あはれにもはべるかな。残りなき御さまを、見たてまつること難くて、遠きほどに年月を過ぐしはべるよ。親たちものしたまはで後は、一所をこそ、御代はりに思ひきこえはべりつれ。常陸の北の方は、訪れきこえたまふや」

 「とてもすっかり、耄碌しておしまいになった。お気の毒なことですね。残り少ないご様子を、拝し上げることもむずかしくて、遠い所で年月を過ごしておりますことよ。両親がお亡くなりになって以後は、祖母お一方を、親代わりにお思い申し上げておりました。常陸介の北の方は、お便り差し上げなさいますか」

 と言ふは、いもうとなるべし。

 と言うのは、その妹なのであろう。

 「年月に添へては、つれづれにあはれなることのみまさりてなむ。常陸は、久しう訪れきこえたまはざめり。え待ちつけたまふまじきさまになむ見えたまふ」

 「年月のたつにつれて、することもないままに悲しいことばかりが増えて。常陸は、長いことお便り申し上げなさらないようです。お待ち申し上げることもできないようにお見えになります」

 とのたまふに、「わが親の名」と、あいなく耳止まれるに、また言ふやう、

 とおっしゃるので、「自分の親の名前だ」と、無関係ながらも耳にとまったが、また言うことには、

 「まかり上りて日ごろになりはべりぬるを、公事のいとしげく、むつかしうのみはべるにかかづらひてなむ。昨日もさぶらはむと思ひたまへしを、右大将殿の宇治におはせし御供に仕うまつりて、故八の宮の住みたまひし所におはして、日暮らしたまひし。

 「上京して何日にもなりましたが、公務がたいそう忙しくて、面倒なことばかりにかかずらっておりまして。昨日もお伺いしようと存じておりましたのに、右大将殿が宇治へお出かけになるお供にお仕えしまして、故八の宮がお住まいになっていた所にいらして、一日中お過ごしになりました。

 故宮の御女に通ひたまひしを、まづ一所は一年亡せたまひにき。その御おとうと、また忍びて据ゑたてまつりたまへりけるを、去年の春また亡せたまひにければ、その御果てのわざせさせたまはむこと、かの寺の律師になむ、さるべきことのたまはせて、なにがしも、かの女の装束一領、調じはべるべきを、せさせたまひてむや。織らすべきものは、急ぎせさせはべりなむ」

 故宮の娘にお通いになっていたが、まずお一方は先年お亡くなりになりました。その妹に、再びこっそりと住まわせ申していらしたが、去年の春またお亡くなりになったので、その一周忌のご法事をあそばしますことを、あの寺の律師に、しかるべき事柄をお命じになって、わたしも、その女装束一領を、調製しなければならないのですが、こちらで作ってくださいませんでしょうか。織る材料は、急いで準備させましょう」

 と言ふを聞くに、いかでかあはれならざらむ。「人やあやしと見む」とつつましうて、奥に向ひてゐたまへり。尼君、

 と言うのを聞くと、どうして胸を打たないことがあろう。「人が変だと見るだろう」と気がひけて、奥の方を向いて座っていた。尼君が、

 「かの聖の親王の御女は、二人と聞きしを、兵部卿宮の北の方は、いづれぞ」

 「あの聖の親王の姫君は、お二方と聞いていたが、兵部卿宮の北の方は、どちらですか」

 とのたまへば、

 とおっしゃると、

 「この大将殿の御後のは、劣り腹なるべし。ことことしうももてなしたまはざりけるを、いみじう悲しびたまふなり。初めのはた、いみじかりき。ほとほと出家もしたまひつべかりきかし」

 「この大将殿の二人目の方は、妾腹なのでしょう。特に表立った扱いをしなかったのですが、ひどくお悲しみになっているのです。最初の方は、また大変なお悲しみようでした。もう少しのところで出家なさってしまいそうなところでした」

 など語る。

 などと話す。



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