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手習

第六章 浮舟の物語 薫、浮舟生存を聞き知る   

6. 小宰相、薫に僧都の話を語る   

 

本文

現代語訳

 立ち寄りて物語などしたまふついでに、言ひ出でたり。珍かにあやしと、いかでか驚かれたまはざらむ。「宮の問はせたまひしも、かかることを、ほの思し寄りてなりけり。などか、のたまはせ果つまじき」とつらけれど、

 立ち寄ってお話などなさるついでに、言い出した。珍しくも不思議なことだと、どうして驚かないことがあろう。「宮がお尋ねあそばしたことも、このようなことを、ちらっとお聞きあそばしてのことだったのだ。どうして、すっかり話してくださらなかったのだろう」とつらい思いがするが、

 「我もまた初めよりありしさまのこと聞こえそめざりしかば、聞きて後も、なほをこがましき心地して、人にすべて漏らさぬを、なかなか他には聞こゆることもあらむかし。うつつの人びとのなかに忍ぶることだに、隠れある世の中かは」

 「自分もまた初めからの様子を申し上げなかったのだから、こうして聞いた後にも、やはり馬鹿らしい気がして、他人には全部話さないのを、かえって他では聞いていることもあろう。現実の人びとの中で隠していることでさえ、隠し通せる世の中だろうか」

 など思ひ入りて、「この人にも、さなむありし」など、明かしたまはむことは、なほ口重き心地して、

 などと考え込んで、「この人にも、これこれであった」などと、打ち明けなさることは、やはり話にくい気がして、

 「なほ、あやしと思ひし人のことに、似てもありける人のありさまかな。さて、その人は、なほあらむや」

 「やはり、不思議に思った女の身の上と、似ていた人の様子ですね。ところで、その人は、今も無事でいますか」

 とのたまへば、

 とお尋ねになると、

 「かの僧都の山より出でし日なむ、尼になしつる。いみじうわづらひしほどにも、見る人惜しみてせさせざりしを、正身の本意深きよしを言ひてなりぬる、とこそはべるなりしか」

 「あの僧都が山から下りた日に、尼にしました。ひどく病んでいた時には、世話する人が惜しんでさせなかったが、ご本人が深い念願だと言ってなってしまったのだ、ということでございました」

 と言ふ。所も変はらず、そのころのありさまと思ひあはするに、違ふふしなければ、

 と言う。場所も違わず、その当時のありさまなどを思い合わせると、違うところがないので、

 「まことにそれと尋ね出でたらむ、いとあさましき心地もすべきかな。いかでかは、たしかに聞くべき。下り立ちて尋ねありかむも、かたくなしなどや人言ひなさむ。また、かの宮も聞きつけたまへらむには、かならず思し出でて、思ひ入りにけむ道も妨げたまひてむかし。

 「本当にその女だと探し出したら、とても嫌な気がするだろうな。どうしたら、確実なことが聞けようか。自分自身で直接訪ねて行くのも、愚かしいなどと人が言ったりしようか。また、あの宮が聞きつけなさったら、きっと思い出しなさって、決心なさっていた仏道もお妨げなさることであろう。

 さて、『さなのたまひそ』など聞こえおきたまひければや、我には、さることなむ聞きしと、さる珍しきことを聞こし召しながら、のたまはせぬにやありけむ。宮もかかづらひたまふにては、いみじうあはれと思ひながらも、さらに、やがて亡せにしものと思ひなしてを止みなむ。

 そのようなわけで、『そのようなことをおっしゃるな』などと、申し上げおきなさったせいであろうか、わたしには、そのようなことを聞いたと、そのような珍しいことをお聞きあそばしながら、仰せにならなかったのであろうか。宮も関係なさっていては、せつなくいとしいと思いながらも、きっぱりと、そのまま亡くなってしまったものと思い諦めよう。

 うつし人になりて、末の世には、黄なる泉のほとりばかりを、おのづから語らひ寄る風の紛れもありなむ。我がものに取り返し見むの心地、また使はじ」

 この世の人として立ち戻ったならば、いつの日にか、黄泉のほとりの話を、自然と話し合える時もきっとあろう。自分の女として取り戻して世話するような考えは、二度と持つまい」

 など思ひ乱れて、「なほ、のたまはずやあらむ」とおぼゆれど、御けしきのゆかしければ、大宮に、さるべきついで作り出だしてぞ、啓したまふ。

 などと思い乱れて、「やはり、仰せにならないだろう」という気はするが、ご様子が気にかかるので、大宮に、適当な機会を作り出して、申し上げなさる。



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