81. 御仏名のまたの日
本文 |
現代語訳 |
語彙 |
御佛名のまたの日、地獄絵の屏風とりわたして、宮に御覧ぜさせ奉らせ給ふ。ゆゆしう、いみじきことかぎりなし。「これ見よ、見よ」とおほせらるれど、「さらに見侍らじ」とて、ゆゆしさにうへやにかくれふしぬ。 |
御仏名法会の翌日、地獄変相の図を描いた屏風を上の御局に運んで、中宮に御覧にお入れになる。気味わるい事この上ない。「これを見なさい。見なさい。」と(中宮は)おっしゃられるけれども、「もう見たくありません」と言って、気味悪さに任せて、上の局に隠れ下がってしまった。 |
またのひ【又の日】…【連語】次の日。翌日 |
雨いたう降りてつれづれなりとて、殿上人上の御局に召して御遊あり。道方の少納言、琵琶いとめでたし。濟政 筝の琴、行義笛、經房の少将、笙(しやう)の笛などの、おもしろし。ひとわたり遊びて、琵琶ひきやみたる程に、大納言殿、「琵琶の馨(こえ)やんで物語せんとすること遅し」と誦し給へりしに、かくれふしたるしも起き出でて、「なほ、罪おそろしけれど、もののめでたさはやむまじ」とてわらはる。 |
雨が激しく降って、手持ち無沙汰な折に、殿上人を帝のおそばのお部屋に招待して音楽の宴が催される。道方の少納言の琵琶はたいそう素晴らしい。濟政の筝の琴、行義の笛、經房の少将の笙の笛なども、面白い。一通り演奏も終わって、琵琶も弾き終わるころに、伊周殿が「琵琶の音もやんでお話しすることも遅い」と、お詠みになると、隠れ伏していた外ならぬ私が起きだして、「地獄絵に目をふさいで詩吟に起き出たことは仏罰に値するけれど、すばらしい事には我慢しきれまい。」と笑う。 |
つれづれなり【徒然なり】…【形動ナリ】@することもなく手持ちぶさただ。所在ない。Aしんみりと物思いにふけっている。もの寂しくぼんやりしている。
しゃう【笙】…【名詞】雅楽の管楽器の一つ。奈良時代に中国から伝えられた。壺(つぼ)状の匏(ほう)の上に長短十七本の竹管を環状に立て並べたもので、管ごとに簧(した)があり、吹き口から吹いたり吸ったりして鳴らす。「さうのふえ」とも。 |
伊周に関する回想の一。
御佛名 …十二月十九日より三日間、三世の諸仏の名号を唱えて六根の罪障を懺悔消滅する法会。清涼殿母屋の御帳台中に仁寿殿の本尊画像をかけ、廂に地獄絵の屏風を立てる。
うへや…下局に対し、御座所に近い局をいう。
上の御局…清涼殿北廂にある弘徽殿の上の御局。当時中宮定子の上局であった。
道方…左大臣源重信の子。正暦元年(九九〇)少納言
濟政…大納言源時中の子。
筝の琴…普通「さうの琴」という。十三絃の琴。
行義…平行義。能因本「ゆきより」は誤りか。
經房…左大臣源高明の四男。正暦四年正月左近少将。底本系統本以外の諸本「つねふさの中将」。
大納言殿…伊周。正暦三年八月権大納言。
琵琶の馨…白楽天の琵琶行の一節。「忽聞水上琵琶声。主人忘帰客発。尋声闇問弾者誰。琵琶声停欲語遅」。