90. 宮の五節いださせ給ふに
  本文  現代語訳
  宮の五節いださせ給ふに、かしづき十二人、こと所には、女御・御息所の御方の人いだすをば、わるきことにすると聞くを、いかにおぼすにか、宮の御方を、十人はいださせ給ふ。いまふたりは、女院・淑景舍の人、やがてはらからどちなり。
   中宮が五節の舞姫をお出しになるのに、介添の女房12人 よそでは女御や東宮妃の女房を出すことをいけないことにしている由なのに、どういうおつもりか中宮方の女房を10人もお出しになる。そのうち2人は 女院の女房と淑景舎の女房、これはすなわち姉妹同志である。
  辰の日の夜、青摺の唐衣・汗衫をみな着せさせ給へり。女房にだに、かねてさも知らせず、殿人には、ましていみじう隠して、みな装束したちて、くらうなりにたる程に、持て来て着す。赤紐をかしうむすび下げて、いみじうやうしたるしろき衣、かた木のかたは繪にかきたり。織物の唐衣どもの上に着たるは、まことにめづらしきなかに、童は、まいていますこしなまめきたり。下仕まで着て出でゐたるに、殿上人・上達部おどろき興じて、小忌の女房とつけて、小忌の君たちは外にゐて物などいふ。   五節の当夜、青摺の唐衣や汗衫を皆に着せさせなさった。宮の女房にさえ前からそうとも知らせず、殿上人にはまして隠して、一同服装をつけて、暗くなるころに、持って着て着させる。赤紐をおもむき深く結んで、ひどくみがきあげた白い衣、それには版木の型が絵でかいてある。織物の唐衣などの上に着るのは、まして一層優美に見えるし、子供たちはまして今少し大人びて見える。下仕の者たちまで着て出てきたので、殿上人・上達部達は、驚き興じて、これに小忌みの女房と名づける。その小忌みの君たちは、御簾の外にいて、おしゃべりに興じていた。   
   
  「五節の局を、日も暮れぬほどに、みなこぼちすかして、ただあやしうてあらする、いとことやうなる事なり。其の夜までは、なほうるはしながらこそあらめ」とのたまはせて、さもまどはさず。几帳どものほころび結ひつつ、こぼれ出でたり。
  「舞姫の控室を、日も暮れるころまで、全部がらあきに取り払って、一向粗末にしておくのは、甚だ不体裁なものです。辰の日の当夜までは、やはりきちんとしたままでおくのがよい。」と、(中宮様は)おっしゃって、いつも程は舞姫や女房達を当惑させない。几帳の帷子はその一部分を縫い残しており、そこから女房の袖口がこぼれ出ている。 
  小兵衞といふが、赤紐のとけたるを、「これ結ばばや」といへば、貴方の中將よりてつくろふに、ただならず。   小兵衛という女房が、赤紐の解けているのを、「これを結ぼう」と言うと、左近中将殿(藤原実方)が来て、何となく意味ありげに。
  あしひきの山井の水はこほれるをいかなるひものとくるなるらん
  山の井の水のように固く凍ったあなたなのに。何で紐が解けたのでしょう、心が解けたとでもいうのですか。
 といひかく。年わかき人の、さる顯證のほどはいひにくきにや、返しもせず。そのかたはらなる人どもも、ただうちすごしつつ、ともかくもいはぬを、宮司などは耳とどめて聞きけるに、ひさしうなりげなるかたはらいたさに、ことがより入りて、女房のもとによりて、「などかうはおはするぞ」などぞささめくなる。四人ばかりをへだててゐたれば、よう思ひ得たらんにてもいひにくし、まいて、歌よむと知りたる人のは、おぼろげならざらんは、いかでかと、つつましきこそはわろけれ。よむ人はさやはある。いとめでたからねど、ふとこそうちいへ。爪はじきをしありくがいとほしければ、
 うはごほりあはにむすべるひもなればかざす日かげにゆるぶばかりを
と辨のおもとといふに傳へさすれば、消え入りつつ、えもいひやらねば、「なにとか、なにとか」と、耳をかたぶけて問ふに、すこし言どもりする人の、いみじうつくろひ、めでたしと聞かせんと思ひければ、え聞きつけずなりぬるこそ、なかなか恥隱るる心地してよかりしか。

 と、詠って聞かせる。小兵衛は年が若く、そんな人目に立つ折は言いにくいのか返歌もしない。その近くにいた女房達もそのまま聞き過して何とも言わないのを、中宮職の役人などは聞き耳をたてていたが、あまり長くなりそうなのが気の毒さに、別の入口から入って、小兵衛のもとに寄って 「なぜ返歌をなさらぬ」などと囁く様子だ。私は4人程離れて坐っていたので、うまく返歌を思いついたにしても言いにくい、まして歌人と知られた実方の歌は並々ではあるまい、その歌に対しては何で返歌など…と憚られる、それこそは困りものだ。歌よみがそんなことでどうする、至極立派ではなくても、ふっと口に出るものだ。役人が文句をいってまわるのが気の毒さに、
 表面だけ薄く張った氷ですから日光で解けただけのこと。ゆるく結んだ紐は解けるのが当然でしよう
 と、弁のおもとと呼ばれる女房に伝えさせると、弁は恥かしがって言いやることもできないので、(実方は)「何ですって?」と耳を傾けて問うと、少しどもる癖のある弁が、ひどく気取って、立派だと思わせようと考えたので、相手はついに聞きとれずにしまったことは、却ってまずい歌の恥が隠れてよかったのかもしれない。
 
   
  のぼる送りなどに、なやましといひていかぬ人をも、のたまはせしかば、あるかぎりつれだちて、ことにも似ず、あまりこそうるさげなめれ   舞姫が参殿する送りなどに、病気と称して行かない人も、中宮が行くように言われたので、全員つれだって出かけ、他の舞姫とは違い余り仰山に見えるようだ。 
  舞姫は、相尹の馬の頭の女、染殿の式部卿の宮の上の御おとうとの四の君の御腹、十二にて、いとをかしげなりき。   舞姫は、右馬頭藤原相尹の娘、村上天皇皇子為平親王の妃の弟君の第4女の娘で、12歳でたいそうかわいらしい。 
  はての夜も、おひかづきいくもさわがず。やがて仁壽殿より通りて、清涼殿の御前の東の簀子より、舞姫をさきにて、上の御局にまゐりし程も、をかしかりき。   最終の夜も、負いかぶさるようにいくが、舞姫は騒ぐこともない。やがて常寧殿からそのまま仁寿殿の前を通り、清涼殿の御前の東の簀子より、舞姫を先頭に、中宮の御座所に参った折も、奥ゆかしいものだった。