桐壷   第二章 光源氏前史の物語
1.父帝悲しみの日々
  本文  現代語訳
 はかなく日ごろ過ぎて、後のわざなどにもこまかにとぶらはせたまふ。ほど経るままに、せむ方なう悲しう思さるるに、御方がたの御宿直なども絶えてしたまはず、ただ涙にひちて明かし暮らさせたまへば、見たてまつる人さへ露けき秋なり。「亡きあとまで、人の胸あくまじかりける人の御おぼえかな」とぞ、弘徽殿などにはなほ許しなうのたまひける。一の宮を見たてまつらせたまふにも、若宮の御恋しさのみ思ほし出でつつ、親しき女房、御乳母などを遣はしつつ、ありさまを聞こし召す  なんの甲斐もなく日数だけは過ぎて、後の法要などの折にも帝は情愛こまやかにお見舞いの使者をお遣わしになる。時が過ぎて行くにしたがって、どうしようもなく悲しく思われるので、女房方の夜の御仕えなどもすっかりお命じにならず、ただ涙に濡れて日をお送りなされているので、ご覧になる人までが露っぽくなる秋である。「亡くなった後まで、人の心を晴ればれさせない御寵愛のこと」と、弘徽殿女御などは今なお容赦なくおっしゃる。一の宮をご覧になるにつけても、若宮の恋しさだけが思い出されて、親しく仕える女房や御乳母などをたびたびお遣わしになっては、ご様子をお尋ねあそばされる。