桐壷   第三章 光る源氏の物語
6.源氏元服(十二歳)
  本文  現代語訳
 この君の御童姿、いと変へまうく思せど、十二にて御元服したまふ。居起ち思しいとなみて、限りある事に事を添へさせたまふ。  この君の御童子姿を、とても変えたくなくお思いであるが、十二歳なので元服なさる。熱心に世話を焼かれて、作法通りの上に、できるだけの事をお加えになる。
 一年の春宮の御元服、南殿にてありし儀式、よそほしかりし御響きに落とさせたまはず。所々の饗など、内蔵寮、穀倉院など、公事に仕うまつれる、おろそかなることもぞと、とりわき仰せ言ありて、清らを尽くして仕うまつれり。  先年の東宮の御元服が、紫宸殿で執り行われた儀式が、いかめしく立派であった世の評判にひけをとらせない。各所での饗宴などにも、内蔵寮や穀倉院など、規定どおり奉仕するのでは、行き届かないことがあってはいけないと、特別に天皇の命令があって、善美を尽くしてお勤めになった。
 かうぶりしたまひて、御休所にまかでたまひて、御衣奉り替へて、下りて拝したてまつりたまふさまに、皆人涙落としたまふ。帝はた、ましてえ忍びあへたまはず、思し紛るる折もありつる昔のこと、とりかへし悲しく思さる。いとかうきびはなるほどは、あげ劣りやと疑はしく思されつるを、あさましううつくしげさ添ひたまへり。  加冠なさって、御休息所にお下がりになって、ご装束をお召し替えなさって、東庭に下って舞踏なさる様子に、一同涙を落としなさる。帝は帝で、誰にもまして堪えきれなされず、お悲しみの紛れる時もあった一時のことを、立ち返って悲しく思われなさる。たいそうこのように幼い年ごろでは、髪上げして見劣りをするのではないかと御心配なさっていたが、驚くほどかわいらしさも加わっていらっしゃった。
 引入の大臣の皇女腹にただ一人かしづきたまふ御女、春宮よりも御けしきあるを、思しわづらふことありける、この君に奉らむの御心なりけり。内裏にも、御けしき賜はらせたまへりければ、「さらば、この折の後見なかめるを、添ひ臥しにも」ともよほさせたまひければ、さ思したり。  加冠役の大臣が皇女の方との間に儲けた一人娘で大切に育てていらっしゃる姫君を、東宮からも御所望があったのを、ご躊躇なさったのは、この君に差し上げようとのお考えからなのであった。帝からの御内意を頂戴させていただいたところ、「それでは、元服の後の後見人がいないようなので、その添い臥しにでも」とお促しあそばされたので、そのようにお考えになっていた。
   
  さぶらひにまかでたまひて、人びと大御酒など参るほど、親王たちの御座の末に源氏着きたまへり。大臣気色ばみきこえたまふことあれど、もののつつましきほどにて、ともかくもあへしらひきこえたまはず。   御休息所に退出なさって、参会者たちが御酒などをお召し上がりになる時に、親王方のお席の末席に源氏はお座りになった。大臣がほのめかし申し上げることがあるが、気恥ずかしい年ごろなので、どちらともはっきりお答え申し上げなさらない。
  御前より、内侍、宣旨うけたまはり伝へて、大臣参りたまふべき召しあれば、参りたまふ。御禄の物、主上の命婦取りて賜ふ。白き大袿に御衣一領、例のことなり。   御前から掌侍が宣旨を承り伝えて、大臣に御前に参られるようにとのお召しがあるので、参上なさる。御禄の品物を、主上づきの命婦が取りついで賜わる。白い大袿に御衣装一領、例のとおりである。
   
 御盃のついでに、  お盃を賜る折に、
 

「いときなき初元結ひに長き世を

  契る心は結びこめつや」

 

「幼子の元服の折、末永い仲を

  姫との間に結ぶ約束はなさったか」

  御心ばへありて、おどろかさせたまふ。   お心づかいを示されて、はっとさせなさる。
 

「結びつる心も深き元結ひに

  濃き紫の色し褪せずは」

 

 「元服の折、約束した心も深いものとなりましょう

  その濃い紫の色さえ変わらなければ」

  と奏して、長橋より下りて舞踏したまふ。  と奏上して、長橋から下りて拝礼の舞踏をなさる。
   
  左馬寮の御馬、蔵人所の鷹据ゑて賜はりたまふ。御階のもとに親王たち上達部つらねて、禄ども品々に賜はりたまふ。   左馬寮の御馬、蔵人所の鷹を留まり木に据えて頂戴なさる。御階のもとに親王方や上達部が立ち並んで、禄をそれぞれの身分に応じて頂戴なさる。
 その日の御前の折櫃物、籠物など、右大弁なむ承りて仕うまつらせける。屯食、禄の唐櫃どもなど、ところせきまで、春宮の御元服の折にも数まされり。なかなか限りもなくいかめしうなむ。   その日の御前の折櫃物や、籠物などは、右大弁が仰せを承って調えさせたのであった。屯食や禄用の唐櫃類など、置き場もないくらいで、東宮の御元服の時よりも数多く勝っていた。かえっていろいろな制限がなくて盛大であった。