TOP  総目次  源氏物語目次   前へ 次へ  
夕 顔

第四章 夕顔の物語(2) 仲秋の物語

6.    十七日夜、夕顔の葬送

 

本文

現代語訳

 日暮れて、惟光参れり。かかる穢らひありとのたまひて、参る人びとも、皆立ちながらまかづれば、人しげからず。召し寄せて、

 日が暮れて、惟光が参上した。これこれの穢れがあるとおっしゃったので、お見舞いの人々も、皆立ったままで退出するので、人目は多くない。呼び寄せて、

 「いかにぞ。今はと見果てつや」

 「どうであったか。もうだめだと見えてしまったか」

 とのたまふままに、袖を御顔に押しあてて泣きたまふ。惟光も泣く泣く、

 とおっしゃると同時に、袖をお顔に押し当ててお泣きになる。惟光も泣きながら、

 「今は限りにこそはものしたまふめれ。長々と籠もりはべらむも便なきを、明日なむ、日よろしくはべれば、とかくの事、いと尊き老僧の、あひ知りてはべるに、言ひ語らひつけはべりぬる」と聞こゆ。

 「もはやご最期のようでいらっしゃいます。いつまでも一緒に籠っておりますのも不都合なので、明日は、日柄がよろしうございますので、あれこれ葬儀のことを、大変に尊い老僧で、知っております者に、連絡をつけました」と申し上げる。

 「添ひたりつる女はいかに」とのたまへば、

 「付き添っていた女はどうしたか」とおっしゃると、

 「それなむ、また、え生くまじくはべるめる。我も後れじと惑ひはべりて、今朝は谷に落ち入りぬとなむ見たまへつる。『かの故里人に告げやらむ』と申せど、『しばし、思ひしづめよ、と。ことのさま思ひめぐらして』となむ、こしらへおきはべりつる」

 「その者も、同様に、生きられそうにございませんようです。自分も死にたいと取り乱しまして、今朝は谷に飛び込みそうになったのを拝見しました。『あの前に住んでいた家の人に知らせよう』と申しますが、『今しばらく、落ち着きなさい、と。事情をよく考えてからに』と、宥めておきました」

 と、語りきこゆるままに、いといみじと思して、

 と、ご報告申すにつれて、とても悲しくお思いになって、

 「我も、いと心地悩ましく、いかなるべきにかとなむおぼゆる」とのたまふ。

 「わたしも、とても気分が悪くて、どうなってしまうのであろうかと思われる」とおっしゃる。

 「何か、さらに思ほしものせさせたまふ。さるべきにこそ、よろづのことはべらめ。人にも漏らさじと思うたまふれば、惟光おり立ちて、よろづはものしはべる」など申す。

 「何を、この上くよくよお考えあそばしますか。そうなる運命に、万事決まっていたのでございましょう。誰にも聞かせまいと存じますので、惟光めが身を入れて、万事始末いたします」などと申す。

 「さかし。さ皆思ひなせど、浮かびたる心のすさびに、人をいたづらになしつるかごと負ひぬべきが、いとからきなり。少将の命婦などにも聞かすな。尼君ましてかやうのことなど、諌めらるるを、心恥づかしくなむおぼゆべき」と、口かためたまふ。

 「そうだ。そのように何事も思ってはみるが、いい加減な遊び心から、人を死なせてしまった非難を受けねばならないのが、まことに辛いのだ。少将命婦などにも聞かせるな。尼君はましてこのようなことなど、お叱りになるから、恥ずかしい気がしよう」と、口封じなさる。

 「さらぬ法師ばらなどにも、皆、言ひなすさま異にはべる」

 「その他の法師たちなどにも、すべて、説明は別々にしてございます」

 と聞こゆるにぞ、かかりたまへる。

 と申し上げるので、頼りになさっている。

 ほの聞く女房など、「あやしく、何ごとならむ、穢らひのよしのたまひて、内裏にも参りたまはず、また、かくささめき嘆きたまふ」と、ほのぼのあやしがる。

 わずかに会話を聞く女房などは、「変だわ、何事だろうか、穢れに触れた旨をおっしゃって、宮中へも参内なさらず、また、このようにひそひそと話して嘆いていらっしゃる」と、ぼんやり不思議がる。

 「さらに事なくしなせ」と、そのほどの作法のたまへど、

 「重ねて無難に取り計らえ」と、葬式の作法をおっしゃるが、

 「何か、ことことしくすべきにもはべらず」

 「いやいや、大げさにする必要もございません」

 とて立つが、いと悲しく思さるれば、

 と言って立つのが、とても悲しく思わずにはいらっしゃれないので、

 「便なしと思ふべけれど、今一度、かの亡骸を見ざらむが、いといぶせかるべきを、馬にてものせむ」

 「きっと不都合なことと思うだろうが、今一度、あの亡骸を見ないのが、とても心残りだから、馬で行ってみたい」

 とのたまふを、いとたいだいしきこととは思へど、

 とおっしゃるので、とんでもない事だとは思うが、

 「さ思されむは、いかがせむ。はや、おはしまして、夜更けぬ先に帰らせおはしませ」

 「そのようにお思いになるならば、仕方ございません。早く、お出かけあそばして、夜が更けない前にお帰りあそばしませ」

 と申せば、このごろの御やつれにまうけたまへる、狩の御装束着替へなどして出でたまふ。

 と申し上げるので、最近のお忍び用にお作りになった、狩衣のご衣装に着替えなどしてお出かけになる。

 御心地かきくらし、いみじく堪へがたければ、かくあやしき道に出で立ちても、危かりし物懲りに、いかにせむと思しわづらへど、なほ悲しさのやる方なく、「ただ今の骸を見では、またいつの世にかありし容貌をも見む」と、思し念じて、例の大夫、随身を具して出でたまふ。

 お心はまっ暗闇で、大変に堪らないので、このような変な道に出かけようとするにつけても、危なかった懲り事のために、どうしようかとお悩みになるが、やはり悲しみの晴らしようがなく、「現在の亡骸を見ないでは、再び来世で生前の姿を見られようか」と、悲しみを堪えなさって、いつものように惟光大夫、随身を連れてお出掛けになる。

 道遠くおぼゆ。十七日の月さし出でて、河原のほど、御前駆の火もほのかなるに、鳥辺野の方など見やりたるほどなど、ものむつかしきも、何ともおぼえたまはず、かき乱る心地したまひて、おはし着きぬ。

 道中が遠く感じられる。十七日の月がさし昇って、河原の辺りでは、御前駆の松明も仄かであるし、鳥辺野の方角などを見やった時など、何となく気味悪いのも、何ともお感じにならず、心乱れなさって、お着きになった。

 辺りさへすごきに、板屋のかたはらに堂建てて行へる尼の住まひ、いとあはれなり。御燈明の影、ほのかに透きて見ゆ。その屋には、女一人泣く声のみして、外の方に、法師ばら二、三人物語しつつ、わざとの声立てぬ念仏ぞする。寺々の初夜も、みな行ひ果てて、いとしめやかなり。清水の方ぞ、光多く見え、人のけはひもしげかりける。この尼君の子なる大徳の声尊くて、経うち読みたるに、涙の残りなく思さる。

 周囲一帯までがぞっとする所だが、板屋の隣に堂を建ててお勤めしている尼の家は、まことにもの寂しい感じである。御燈明の光が、微かに隙間から見える。その家には、女一人の泣く声ばかりして、外の方に、法師たち二、三人が話をしいしい、特に声を立てない念仏を唱えている。寺々の初夜も、皆、お勤めが終わって、とても静かである。清水寺の方角は、光が多く見え、人の気配がたくさんあるのであった。この尼君の子である大徳が尊い声で、経を読んでいるので、涙も涸れんばかりに思わずにはいらっしゃれない。

 入りたまへれば、火取り背けて、右近は屏風隔てて臥したり。いかにわびしからむと、見たまふ。恐ろしきけもおぼえず、いとらうたげなるさまして、まだいささか変りたるところなし。手をとらへて、

 お入りになると、灯火を遺骸から背けて、右近は屏風を隔てて臥していた。どんなに侘しく思っているだろう、と御覧になる。気味悪さも感じられず、とてもかわいらしい様子をして、まだ少しも変わった所がない。手を握って、

 「我に、今一度、声をだに聞かせたまへ。いかなる昔の契りにかありけむ、しばしのほどに、心を尽くしてあはれに思ほえしを、うち捨てて、惑はしたまふが、いみじきこと」

 「わたしに、もう一度、声だけでもお聞かせ下さい。どのような前世からの因縁があったのだろうか、少しの間に、心の限りを尽くして愛しいと思ったのに、残して逝って、途方に暮れさせなさるのが、あまりのこと」

 と、声も惜しまず、泣きたまふこと、限りなし。

 と、声も惜しまず、お泣きになること、際限がない。

 大徳たちも、誰とは知らぬに、あやしと思ひて、皆、涙落としけり。

 大徳たちも、この方たちを誰とは知らないが、子細があると思って、皆、涙を落としたのだった。

 右近を、「いざ、二条へ」とのたまへど、

 右近に、「さあ、二条へ」とおっしゃるが、

 「年ごろ、幼くはべりしより、片時たち離れたてまつらず、馴れきこえつる人に、にはかに別れたてまつりて、いづこにか帰りはべらむ。いかになりたまひにきとか、人にも言ひはべらむ。悲しきことをばさるものにて、人に言ひ騒がれはべらむが、いみじきこと」と言ひて、泣き惑ひて、「煙にたぐひて、慕ひ参りなむ」と言ふ。

 「長年、幼うございました時から、片時もお離れ申さず、馴れ親しみ申し上げてきた方に、急にお別れ申して、どこに帰ったらよいのでございましょう。どのようにおなりになったと、皆に申せましょう。悲しいことはさておいて、皆にとやかく言われましょうことが、辛いことで」と言って、泣き崩れて、「煙と一緒になって、後をお慕い申し上げましょう」と言う。

 「道理なれど、さなむ世の中はある。別れと言ふもの、悲しからぬはなし。とあるもかかるも、同じ命の限りあるものになむある。思ひ慰めて、我を頼め」と、のたまひこしらへて、「かく言ふ我が身こそは、生きとまるまじき心地すれ」

 「ごもっともだが、世の中はそのようなものである。別れというもので、悲しくないものはない。先立つのも残されるのも、同じく寿命で定まったものである。気を取り直して、わたしを頼れ」と、お慰めになりながらも、「このように言う我が身こそが、生きながらえられそうにない気がする」

 とのたまふも、頼もしげなしや。

 とおっしゃるのも、頼りない話であるよ。

 惟光、「夜は、明け方になりはべりぬらむ。はや帰らせたまひなむ」

 惟光が、「夜は、明け方になってしまいましょう。早くお帰りあそばしますように」

 と聞こゆれば、返りみのみせられて、胸もつと塞がりて出でたまふ。

 と申し上げるので、振り返り振り返りばかりされて、胸をひしと締め付けられた思いでお出になる。

 道いと露けきに、いとどしき朝霧に、いづこともなく惑ふ心地したまふ。ありしながらうち臥したりつるさま、うち交はしたまへりしが、我が御紅の御衣の着られたりつるなど、いかなりけむ契りにかと道すがら思さる。御馬にも、はかばかしく乗りたまふまじき御さまなれば、また、惟光添ひ助けておはしまさするに、堤のほどにて、御馬よりすべり下りて、いみじく御心地惑ひければ、

 道中とても露っぽいところに、更に大変な朝霧で、どこだか分からないような気がなさる。生前の姿のままで横たわっていた様子、互いにお掛け合いになって寝たのや、その自分の紅のご衣装がそのまま着せ掛けてあったことなどが、どのような前世の因縁であったのかと、道すがらお思いにならずにはいらっしゃれない。お馬にも、しっかりとお乗りになることができそうにないご様子なので、再び、惟光が介添えしてお連れしていくと、堤の辺りで、馬からすべり下りて、ひどくご惑乱なさったので、

 「かかる道の空にて、はふれぬべきにやあらむ。さらに、え行き着くまじき心地なむする」

 「こんな道端で、野垂れ死んでしまうのだろうか。まったく、帰り着けそうにない気がする」

 とのたまふに、惟光心地惑ひて、「我がはかばかしくは、さのたまふとも、かかる道に率て出でたてまつるべきかは」と思ふに、いと心あわたたしければ、川の水に手を洗ひて、清水の観音を念じたてまつりても、すべなく思ひ惑ふ。

 とおっしゃるので、惟光も困惑して、「自分がしっかりしていたら、あのようにおっしゃっても、このような所にお連れ出し申し上げるべきではなかった」と反省すると、とても気ぜわしく落ち着いていられないので、鴨川の水で手を洗い清めて、清水の観音をお拝み申しても、どうしようもなく途方に暮れる。

 君も、しひて御心を起こして、心のうちに仏を念じたまひて、また、とかく助けられたまひてなむ、二条院へ帰りたまひける。

 源氏の君も、無理に気を取り直して、心中に仏を拝みなさって、再び、あれこれ助けられなさって、二条院へお帰りになるのであった。

 あやしう夜深き御歩きを、人びと、「見苦しきわざかな。このごろ、例よりも静心なき御忍び歩きの、しきるなかにも、昨日の御気色の、いと悩ましう思したりしに。いかでかく、たどり歩きたまふらむ」と、嘆きあへり。

 奇妙な深夜のお忍び歩きを、女房たちは、「みっともないこと。近ごろ、いつもより落ち着きのないお忍び歩きが、うち続く中でも、昨日のご様子が、とても苦しそうでいらっしゃいましたが。どうしてこのように、ふらふらお出歩きなさるのでしょう」と、嘆き合っていた。

 まことに、臥したまひぬるままに、いといたく苦しがりたまひて、二、三日になりぬるに、むげに弱るやうにしたまふ。内裏にも、聞こしめし、嘆くこと限りなし。御祈り、方々に隙なくののしる。祭、祓、修法など、言ひ尽くすべくもあらず。世にたぐひなくゆゆしき御ありさまなれば、世に長くおはしますまじきにやと、天の下の人の騷ぎなり。

 ほんとうに、お臥せりになったままで、とてもひどくお苦しみになって、二、三日にもなったので、すっかり衰弱のようでいらっしゃる。帝におかせられても、お耳にあそばされ、嘆かれることはこの上ない。御祈祷を、方々の寺々にひっきりなしに大騒ぎする。祭り、祓い、修法など、数え上げたらきりがない。この世にまたとなく美しいご様子なので、長生きあそばされないのではないかと、国中の人々の騷ぎである。

 苦しき御心地にも、かの右近を召し寄せて、局など近くたまひて、さぶらはせたまふ。惟光、心地も騒ぎ惑へど、思ひのどめて、この人のたづきなしと思ひたるを、もてなし助けつつさぶらはす。

 苦しいご気分ながらも、あの右近を呼び寄せて、部屋などを近くにお与えになって、お仕えさせなさる。惟光は、気が気でなくどうしてよいかわからないでいるが、気を落ち着けて、この右近が主人を亡くして悲しんでいるのを、支え助けてやりながら仕えさせる。

 君は、いささか隙ありて思さるる時は、召し出でて使ひなどすれば、ほどなく交じらひつきたり。服、いと黒くして、容貌などよからねど、かたはに見苦しからぬ若人なり。

 源氏の君は、少し気分のよろしく思われる時は、呼び寄せてご用を言いつけたりなどなさるので、まもなく馴染んだ。喪服は、とても黒いのを着て、器量など良くはないが、不器量で見苦しいというほどでもない若い女性である。

 「あやしう短かかりける御契りにひかされて、我も世にえあるまじきなめり。年ごろの頼み失ひて、心細く思ふらむ慰めにも、もしながらへば、よろづに育まむとこそ思ひしか、ほどなくまたたち添ひぬべきが、口惜しくもあるべきかな」

 「不思議に短かったご宿縁に引かれて、わたしもこの世に生きていられないような気がする。長年の主人を亡くして、心細く思っていましょう慰めにも、もし生きながらえたら、いろいろと面倒を見たいと思ったが、まもなく自分も後を追ってしまいそうなのが、残念なことだなあ」

 と、忍びやかにのたまひて、弱げに泣きたまへば、言ふかひなきことをばおきて、「いみじく惜し」と思ひきこゆ。

 と、ひっそりとおっしゃって、弱々しくお泣きになるので、今さら言ってもしかたないことはさて措いても、「はなはだもったいないことだ」とお思い申し上げる。

 殿のうちの人、足を空にて思ひ惑ふ。内裏より、御使、雨の脚よりもけにしげし。思し嘆きおはしますを聞きたまふに、いとかたじけなくて、せめて強く思しなる。大殿も経営したまひて、大臣、日々に渡りたまひつつ、さまざまのことをせさせたまふ、しるしにや、二十余日、いと重くわづらひたまひつれど、ことなる名残のこらず、おこたるさまに見えたまふ。

 お邸の人々は、足も地に着かないほどどうしてよいか分からないでいる。内裏から、御勅使が、雨脚よりも格段に頻繁にある。ご心配あそばされていらっしゃるのをお聞きになると、まことに恐れ多くて、無理に気を強くお持ちになる。大殿邸でも懸命にお世話なさって、左大臣が、毎日お越しになっては、さまざまな加持祈祷をおさせなさる、その効果があってか、二十余日間、ひどく重く患っていらしゃったが、格別の余病もなく、回復された様子にお見えになる。

 穢らひ忌みたまひしも、一つに満ちぬる夜なれば、おぼつかながらせたまふ御心、わりなくて、内裏の御宿直所に参りたまひなどす。大殿、我が御車にて迎へたてまつりたまひて、御物忌なにやと、むつかしう慎ませたてまつりたまふ。我にもあらず、あらぬ世によみがへりたるやうに、しばしはおぼえたまふ。

 死穢によって籠っていらっしゃった忌中明けの日が、病気回復の床上げの日と同日の夜になったので、御心配あそばされていらっしゃるお気持ちが、どうにも恐れ多いので、宮中のご宿直所に参内などなさる。大殿は、ご自分のお車でお迎え申し上げなさって、御物忌みや何やかやと、うるさくお慎みさせ申し上げなさる。ぼんやりとして、別世界にでも生き返ったように、暫くの間はお感じになっていた。


TOP  総目次  源氏物語目次 ページトップへ  前へ 次へ