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夕 顔

第五章 空蝉の物語(2)

1. 紀伊守邸の女たちと和歌の贈答

 

本文

現代語訳

 かの、伊予の家の小君、参る折あれど、ことにありしやうなる言伝てもしたまはねば、憂しと思し果てにけるを、いとほしと思ふに、かくわづらひたまふを聞きて、さすがにうち嘆きけり。遠く下りなどするを、さすがに心細ければ、思し忘れぬるかと、試みに、

 あの、伊予介の家の小君は、参上する折はあるが、特別に以前のような伝言もなさらないので、嫌なとお見限りになられたのを、つらいと思っていた折柄、このようにご病気でいらっしゃるのを聞いて、やはり悲しい気がするのであった。遠くへ下るのなどが、何といっても心細い気がするので、お忘れになってしまったかと、試しに、

 「承り、悩むを、言に出でては、えこそ、

 「承りまして、案じておりますが、口に出しては、とても、

 問はぬをもなどかと問はでほどふるに

 いかばかりかは思ひ乱るる

 『益田』はまことになむ」

 お見舞いできませんことをなぜかとお尋ね下さらずに月日が経ましたが

 わたしもどんなにか思い悩んでいます

   『益田の池の生きている甲斐ない』とは本当のことで」

 と聞こえたり。めづらしきに、これもあはれ忘れたまはず。

 と申し上げた。久しぶりにうれしいので、この女へも愛情はお忘れにならない。

 「生けるかひなきや、誰が言はましことにか。

 「生きている甲斐がないとは、誰が言ったらよい言葉でしょうか。

 空蝉の世は憂きものと知りにしを

 また言の葉にかかる命よ

 はかなしや」

 あなたとのはかない仲は嫌なものと知ってしまったのに

 またあなたの言葉に期待が掛かる命よ

 頼りないことよ」

 と、御手もうちわななかるるに、乱れ書きたまへる、いとどうつくしげなり。なほ、かのもぬけを忘れたまはぬを、いとほしうもをかしうも思ひけり。

 と、お手も震えなさるので、乱れ書きなさっているのが、ますます美しそうである。今だに、あの脱ぎ衣をお忘れにならないのを、気の毒にもおもしろくも思うのであった。

 かやうに憎からずは、聞こえ交はせど、け近くとは思ひよらず、さすがに、言ふかひなからずは見えたてまつりてやみなむ、と思ふなりけり。

 このように愛情がなくはなく、やりとりなさるが、身近にとは思ってもいないが、とはいえ、情趣を解さない女だと思われない格好で終わりにしたい、と思うのであった。

 かの片つ方は、蔵人少将をなむ通はす、と聞きたまふ。「あやしや。いかに思ふらむ」と、少将の心のうちもいとほしく、また、かの人の気色もゆかしければ、小君して、「死に返り思ふ心は、知りたまへりや」と言ひ遣はす。

 あのもう一方は、蔵人少将を通わせていると、お聞きになる。「おかしなことだ。どう思っているだろう」と、少将の気持ちも同情し、また、あの女の様子も興味があるので、小君を使いにして、「死ぬほど思っている気持ちは、お分かりでしょうか」と言っておやりになる。

 「ほのかにも軒端の荻を結ばずは

  露のかことを何にかけまし」

 「一夜の逢瀬なりとも軒端の荻を結ぶ契りをしなかったら

  わずかばかりの恨み言も何を理由に言えましょうか」

 高やかなる荻に付けて、「忍びて」とのたまへれど、「取り過ちて、少将も見つけて、我なりけりと思ひあはせば、さりとも、罪ゆるしてむ」と思ふ、御心おごりぞ、あいなかりける。

 丈高い荻に結び付けて、「こっそりと」とおっしゃっていたが、「間違って、少将が見つけて、わたしだったのだと分かってしまったら、それでも、許してくれよう」と思う、高慢なお気持ちは、困ったものである。

 少将のなき折に見すれば、心憂しと思へど、かく思し出でたるも、さすがにて、御返り、口ときばかりをかことにて取らす。

 少将のいない時に見せると、嫌なことと思うが、このように思い出してくださったのも、やはり嬉しくて、お返事を、早いのだけを申し訳にして与える。

 「ほのめかす風につけても下荻の

  半ばは霜にむすぼほれつつ」

 「ほのめかされるお手紙を見るにつけても下荻のような

  身分の賤しいわたしは、嬉しいながらも半ばは思い萎れています」

 手は悪しげなるを、紛らはしさればみて書いたるさま、品なし。火影に見し顔、思し出でらる。「うちとけで向ひゐたる人は、え疎み果つまじきさまもしたりしかな。何の心ばせありげもなく、さうどき誇りたりしよ」と思し出づるに、憎からず。なほ「こりずまに、またもあだ名立ちぬべき」御心のすさびなめり。

 筆跡は下手なのを、分からないようにしゃれて書いている様子は、品がない。灯火で見た顔を、自然と思い出されなさる。「気を許さず対座していたあの人は、今でも思い捨てることのできない様子をしていたな。何の嗜みもありそうでなく、はしゃいで得意でいたことよ」とお思い出しになると、憎めなくなる。相変わらず、「性懲りも無く、また浮き名が立ってしまいそうな」好色心のようである。



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