第二章 藤壺の物語 夏の密通と妊娠の苦悩物語
1.夏四月の短夜の密通事件
本文 |
現代語訳 |
藤壺の宮、悩みたまふことありて、まかでたまへり。上の、おぼつかながり、嘆ききこえたまふ御気色も、いといとほしう見たてまつりながら、かかる折だにと、心もあくがれ惑ひて、何処にも何処にも、まうでたまはず、内裏にても里にても、昼はつれづれと眺め暮らして、暮るれば、王命婦を責め歩きたまふ。 |
藤壺の宮に、ご不例の事があって、ご退出された。主上が、お気をもまれ、ご心配申し上げていらっしゃるご様子も、まことにおいたわしく拝見しながらも、せめてこのような機会にもと、魂も浮かれ出て、どこにもかしこにもお出かけにならず、内裏にいても里邸にいても、昼間は所在なくぼうっと物思いに沈んで、夕暮れになると、王命婦にあれこれとおせがみになる。 |
いかがたばかりけむ、いとわりなくて見たてまつるほどさへ、現とはおぼえぬぞ、わびしきや。宮も、あさましかりしを思し出づるだに、世とともの御もの思ひなるを、さてだにやみなむと深う思したるに、いと憂くて、いみじき御気色なるものから、なつかしうらうたげに、さりとてうちとけず、心深う恥づかしげなる御もてなしなどの、なほ人に似させたまはぬを、「などか、なのめなることだにうち交じりたまはざりけむ」と、つらうさへぞ思さるる。何ごとをかは聞こえ尽くしたまはむ。くらぶの山に宿りも取らまほしげなれど、あやにくなる短夜にて、あさましう、なかなかなり。 |
どのように手引したのだろうか、とても無理してお逢い申している間さえ、現実とは思われないのは、辛いことであるよ。宮も、思いもしなかった出来事をお思い出しになるだけでも、生涯忘れることのできないお悩みの種なので、せめてそれきりで終わりにしたいと深く決心されていたのに、とても情けなくて、ひどく辛そうなご様子でありながらも、優しくいじらしくて、そうかといって馴れ馴れしくなく、奥ゆかしく気品のある御物腰などが、やはり普通の女人とは違っていらっしゃるのを、「どうして、わずかの欠点すら少しも混じっていらっしゃらなかったのだろう」と、辛くまでお思いになられる。どのようなことをお話し申し上げきれようか。鞍馬の山に泊まりたいところだが、あいにくの短夜なので、情けなく、かえって辛い逢瀬である。 |
「見てもまた逢ふ夜まれなる夢のうちに やがて紛るる我が身ともがな」 |
「お逢いしても再び逢うことの難しい夢のようなこの世なので 夢の中にそのまま消えてしまいとうございます」 |
と、むせかへりたまふさまも、さすがにいみじければ、 |
と、涙にひどくむせんでいられるご様子も、何と言ってもお気の毒なので、 |
「世語りに人や伝へむたぐひなく 憂き身を覚めぬ夢になしても」 |
「世間の語り草として語り伝えるのではないでしょうか、 この上なく辛い身の上を覚めることのない夢の中のこととしても」 |
思し乱れたるさまも、いと道理にかたじけなし。命婦の君ぞ、御直衣などは、かき集め持て来たる。 |
お悩みになっている様子も、まことに道理で恐れ多い。命婦の君が、お直衣などは、取り集めて持って来た。 |
殿におはして、泣き寝に臥し暮らしたまひつ。御文なども、例の、御覧じ入れぬよしのみあれば、常のことながらも、つらういみじう思しほれて、内裏へも参らで、二、三日籠もりおはすれば、また、「いかなるにか」と、御心動かせたまふべかめるも、恐ろしうのみおぼえたまふ。 |
お邸にお帰りになって、泣き臥してお暮らしになった。お手紙なども、例によって、御覧にならない旨ばかりなので、いつものことながらも、全く茫然自失とされて、内裏にも参内せず、二、三日閉じ籠もっていらっしゃるので、また、「どうかしたのだろうか」と、ご心配あそばされているらしいのも、恐ろしいばかりに思われなさる。 |