第一章 末摘花の物語
2.故常陸宮の姫君の噂
本文 |
現代語訳 |
左衛門の乳母とて、大弐のさしつぎに思いたるが女、大輔の命婦とて、内裏にさぶらふ、わかむどほりの兵部大輔なる女なりけり。いといたう色好める若人にてありけるを、君も召し使ひなどしたまふ。母は筑前守の妻にて、下りにければ、父君のもとを里にて行き通ふ。 |
左衛門の乳母といって、大弍の次に大切に思っていらっしゃる者の娘で、大輔の命婦といって、内裏に仕えている者は、皇族の血筋を引く兵部の大輔という人の娘であった。とても大層な色好みの若女房であったのを、君も召し使ったりなどなさる。母親は、筑前守と再婚して、赴任していたので、父君の家を里として通っている。 |
故常陸親王の、末にまうけていみじうかなしうかしづきたまひし御女、心細くて残りゐたるを、もののついでに語りきこえければ、あはれのことやとて、御心とどめて問ひ聞きたまふ。 |
故常陸親王が晩年に儲けて、大層大切にお育てなさったおん姫君が、心細く遺されて暮らしているのを何かの折に、お話申し上げたところ、気の毒なことだと、お心に留めてお尋ねなさる。 |
「心ばへ容貌など、深き方はえ知りはべらず。かいひそめ、人疎うもてなしたまへば、さべき宵など、物越しにてぞ、語らひはべる。琴をぞなつかしき語らひ人と思へる」と聞こゆれば、 |
「気立てや器量など、詳しくは存じません。控え目で、人と交際していらっしゃらないので、何か用のあった宵などに、物を隔ててお話しております。琴を親しい話相手と思っています」と申し上げると、 |
「三つの友にて、今一種やうたてあらむ」とて、「我に聞かせよ。父親王の、さやうの方にいとよしづきてものしたまうければ、おしなべての手にはあらじ、となむ思ふ」とのたまへば、 |
「三つの友として、もう一つは不向きだろう」と言って、「わたしに聞かせよ。父親王が、その方面でとても造詣が深くていらしたので、並大抵の手ではあるまい、と思う」とおっしゃると、 |
「さやうに聞こし召すばかりにはあらずやはべらむ」 と言へど、御心とまるばかり聞こえなすを、 「いたうけしきばましや。このころのおぼろ月夜に忍びてものせむ。まかでよ」 |
「そのようにお聞きあそばすほどのことではございませんでしょう」 と言うが、お心惹かれるようにわざと申し上げるので、 「ひどくもったいぶるね。このごろの朧月夜にこっそり行こう。退出せよ」 |
とのたまへば、わづらはしと思へど、内裏わたりものどやかなる春のつれづれにまかでぬ。 |
とおっしゃるので、面倒なと思うが、内裏でものんびりとした春の所在ない折に退出した。 |
父の大輔の君は他にぞ住みける。ここには時々ぞ通ひける。命婦は、継母のあたりは住みもつかず、姫君の御あたりをむつびて、ここには来るなりけり。 |
父親の大輔の君は他に住んでいるのであった。ここには時々通って来るのであった。命婦は、継母の家には住まず、姫君の家と懇意にして、ここには来るのであった。 |