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末摘花

第一章 末摘花の物語

5.秋八月二十日過ぎ常陸宮の姫君と逢う

 

本文

現代語訳

 秋のころほひ、静かに思しつづけて、かの砧の音も耳につきて聞きにくかりしさへ、恋しう思し出でらるるままに、常陸宮にはしばしば聞こえたまへど、なほおぼつかなうのみあれば、世づかず、心やましう、負けては止まじの御心さへ添ひて、命婦を責めたまふ。

 秋のころ、静かにお思い続けになって、あの砧の音も耳障りであったのまでが、自然に恋しくお思い出されるにつけて、常陸宮邸には度々お手紙を差し上げなさるが、相変わらず一向にお返事がないばかりなので、世間知らずで、おもしろくなく、負けてはなるものかという意地まで加わって、命婦をご催促なさる。

 「いかなるやうぞ。いとかかる事こそ、まだ知らね」

 「どういうことか。いったいこのようなことは、今までにない」

 と、いとものしと思ひてのたまへば、いとほしと思ひて、

 と、とても不愉快に思っておっしゃるので、お気の毒に思って、

 「もて離れて、似げなき御事とも、おもむけはべらず。ただ、おほかたの御ものづつみのわりなきに、手をえさし出でたまはぬとなむ見たまふる」と聞こゆれば、

 「かけ離れて、不釣り合いなご縁だとも、申し上げたことはありません。ただ、万事につけて内気な性格が強すぎて、お返事なさらないのだろうと存じます」と申し上げると、

 「それこそは世づかぬ事なれ。物思ひ知るまじきほど、独り身をえ心にまかせぬほどこそ、ことわりなれ、何事も思ひしづまりたまへらむ、と思ふこそ。そこはかとなく、つれづれに心細うのみおぼゆるを、同じ心に答へたまはむは、願ひかなふ心地なむすべき。何やかやと、世づける筋ならで、その荒れたる簀子にたたずままほしきなり。いとうたて心得ぬ心地するを、かの御許しなくとも、たばかれかし。心苛られし、うたてあるもてなしには、よもあらじ」

  など、語らひたまふ。

 「それが世間知らずというものだ。分別のつけられない年頃や、親がかりで自分では身を処せられない間は、もっともなことだが、何事もじっくりお考えになられるのだろう、と思うからだ。どことなく、所在なく心細くばかり思われるのを、同じような気持ちでお返事下さったら、願いが叶った気がしよう。何やかやと、色めいたことではなくて、あの荒れた簀子に佇んでみたいのだ。とても嫌な理解できない思いがするから、あの方のお許しがなくても、うまく計らってくれ。気がせいて、けしからぬ振る舞いは、決してせぬ」

 

 などと、ご相談なさる。

 なほ世にある人のありさまを、おほかたなるやうにて聞き集め、耳とどめたまふ癖のつきたまへるを、さうざうしき宵居など、はかなきついでに、さる人こそとばかり聞こえ出でたりしに、かくわざとがましうのたまひわたれば、「なまわづらはしく、女君の御ありさまも、世づかはしく、よしめきなどもあらぬを、なかなかなる導きに、いとほしき事や見えむなむ」と思ひけれど、君のかうまめやかにのたまふに、「聞き入れざらむも、ひがひがしかるべし。父親王おはしける折にだに、旧りにたるあたりとて、おとなひきこゆる人もなかりけるを、まして、今は浅茅分くる人も跡絶えたるに」。

 やはり世間一般の女性の様子を、一通りのこととして聞き集め、お耳を留めなさる癖がついていらっしゃるので、もの寂しい夜の席などで、ちょっとした折に、このような女性がと申し上げたことに、このように殊更におっしゃり続けるので、「何となく気が重く、女君のご様子も、恋愛の経験や、風流らしくもないのに、かえって手引したことによって、きっと気の毒なことになりはしないか」と思ったが、君がこのように本気になっておっしゃるので、「聞き入れないのも、いかにも変わり者のようだろう。父親王が生きていらしたころでさえ、時代遅れの所だと言って、ご訪問申し上げる人もなかったのだが、まして、今となっては浅茅生を分けて訪ねて来る人もまったく絶えているのに」。

 

 かく世にめづらしき御けはひの、漏りにほひくるをば、なま女ばらなども笑み曲げて、「なほ聞こえたまへ」と、そそのかしたてまつれど、あさましうものづつみしたまふ心にて、ひたぶるに見も入れたまはぬなりけり。

 このように世にも珍しいお方から、時々お手紙が届くのを、なま女房どもも笑顔をつくって、「やはりお返事をなさいませ」と、お勧め申し上げるが、あきれるくらい内気なご性格で、全然御覧になろうともなさらないのであった。

 命婦は、「さらば、さりぬべからむ折に、物越しに聞こえたまはむほど、御心につかずは、さても止みねかし。また、さるべきにて、仮にもおはし通はむを、とがめたまふべき人なし」など、あだめきたるはやり心はうち思ひて、父君にも、かかる事なども言はざりけり。

 命婦は、「それでは、適当な機会に、物越しにお話申し上げなさって、お気に召さなかったら、そのまま終わってしまってよし。また、ご縁があって、一時的にでもお通いになるとしても、誰もお咎めなさるはずの方もいない」などと、色事にかけては軽率な性分でふと考えて、父君にも、このようなことなど、話さなかったのであった。

 八月二十余日、宵過ぐるまで待たるる月の心もとなきに、星の光ばかりさやけく、松の梢吹く風の音心細くて、いにしへの事語り出でて、うち泣きなどしたまふ。「いとよき折かな」と思ひて、御消息や聞こえつらむ、例のいと忍びておはしたり。

 八月二十日過ぎ、夜の更けるまで待ち遠しい月の出の遅さに、星の光ばかりさやかに照らし、松の梢を吹く風の音も心細くて、昔のことをお話し出しなさって、お泣きになったりなどなさる。「ちょうど良い機会だ」と思って、ご案内を差し上げたのだろうか、いつものようにお忍びでいらっしゃった。

 月やうやう出でて、荒れたる籬のほどうとましくうち眺めたまふに、琴そそのかされて、ほのかにかき鳴らしたまふほど、けしうはあらず。「すこし、け近う今めきたる気をつけばや」とぞ、乱れたる心には、心もとなく思ひゐたる。人目しなき所なれば、心やすく入りたまふ。命婦を呼ばせたまふ。今しもおどろき顔に、

 月がようやく出て、荒れた垣根の状態を気味悪く眺めていらっしゃると、琴を勧められて、かすかにお弾きになるのは、悪くはない。「もう少し、親しみやすい、今風の感じを加えたいものだ」と、蓮っ葉な性分から、じれったく思っていた。人目のない邸なので、安心してお入りになる。命婦をお呼ばせになる。今初めて、気がついた顔して、

 「いとかたはらいたきわざかな。しかしかこそ、おはしましたなれ。常に、かう恨みきこえたまふを、心にかなはぬ由をのみ、いなびきこえはべれば、『みづからことわりも聞こえ知らせむ』と、のたまひわたるなり。いかが聞こえ返さむ。なみなみのたはやすき御ふるまひならねば、心苦しきを。物越しにて、聞こえたまはむこと、聞こしめせ」

 「とても困りましたわ。これこれということで、お越しあそばしたそうですわ。いつも、このようにお恨み申していらっしゃったが、一存ではまいらぬ旨ばかり、お断り申しておりますので、『自身でお話をおつけ申し上げよう』とかねておっしゃっていたのです。どのようにお返事申し上げましょうか。並大抵の軽いお出ましではありませんので、困ったことで。物越しにでも、おっしゃるところを、お聞きあそばしませ」

 と言へば、いと恥づかしと思ひて、

 と言うと、とても恥ずかしい、と思って、

 「人にもの聞こえむやうも知らぬを」

 「人とお話する仕方などは知らないのに」

 とて、奥ざまへゐざり入りたまふさま、いとうひうひしげなり。うち笑ひて、

 と言って、奥の方へいざってお入りになる態度は、とてもうぶな様子である。微笑んで、

 「いと若々しうおはしますこそ、心苦しけれ。限りなき人も、親などおはしてあつかひ後見きこえたまふほどこそ、若びたまふもことわりなれ、かばかり心細き御ありさまに、なほ世を尽きせず思し憚るは、つきなうこそ」と教へきこゆ。

 「とても、子供じみていらっしゃいますのが、気がかりですわ。ご身分の高い方も、ご両親様が生きていらっして、手を掛けてお世話申していらっしゃる間なら、子供っぽくいらっしゃるのも結構ですが、このような心細いお暮らし向きで、相変わらず世間を知らずに引っ込み思案でいらっしゃるのは、よろしうございません」とお教え申し上げる。

 さすがに、人の言ふことは強うもいなびぬ御心にて、

  「答へきこえで、ただ聞け、とあらば。格子など鎖してはありなむ」とのたまふ。

 何と言っても、人の言うことには強く拒まないご性質なので、

 「お返事申さずに、ただ聞いていよ、というのであれば。格子など閉めてお会いするならいいでしょう」とおっしゃる。

 「簀子などは便なうはべりなむ。おしたちて、あはあはしき御心などは、よも」

  など、いとよく言ひなして、二間の際なる障子、手づからいと強く鎖して、御茵うち置きひきつくろふ。

 「簀子などでは失礼でございましょう。強引で、軽薄なお振る舞いは、間違っても」

  などと、うまく言い含めて、二間の端にある障子を、自分で固く錠鎖して、お座蒲団を敷いて整える。

 いとつつましげに思したれど、かやうの人にもの言ふらむ心ばへなども、夢に知りたまはざりければ、命婦のかう言ふを、あるやうこそはと思ひてものしたまふ。乳母だつ老い人などは、曹司に入り臥して、夕まどひしたるほどなり。若き人、二、三人あるは、世にめでられたまふ御ありさまを、ゆかしきものに思ひきこえて、心げさうしあへり。よろしき御衣たてまつり変へ、つくろひきこゆれば、正身は、何の心げさうもなくておはす。

 とても恥ずかしくお思いになっているが、このような方に応対する心得なども、まったくご存じなかったので、命婦がこのように言うのを、そういうものなのであろうと思って任せていらっしゃる。乳母のような老女などは、部屋に入って横になってうつらうつらしている時分である。若い女房、二、三人いるのは、世間で評判高いお姿を、見たいものだとお思い申し上げて、期待して緊張し合っている。結構なご衣装にお召し替え申し、身繕い申し上げると、ご本人は、何の頓着もなくいらっしゃる。

 男は、いと尽きせぬ御さまを、うち忍び用意したまへる御けはひ、いみじうなまめきて、「見知らむ人にこそ見せめ、栄えあるまじきわたりを、あな、いとほし」と、命婦は思へど、ただおほどかにものしたまふをぞ、「うしろやすう、さし過ぎたることは見えたてまつりたまはじ」と思ひける。「わが常に責められたてまつる罪さりごとに、心苦しき人の御もの思ひや出でこむ」など、やすからず思ひゐたり。

 男は、まことこの上ないお姿を、お忍びで心づかいしていらっしゃるご様子、何とも優美で、「風流を解する人にこそ見せたいが、見栄えもしない邸で、ああ、お気の毒な」と、命婦は思うが、ただおっとりしていらっしゃるのを、「安心で、出過ぎたところはお見せ申さるまい」と思うのであった。「自分がいつも責められ申していた責任逃れに、気の毒な姫の物思いが生じてきはしまいか」などと、不安に思っている。

 君は、人の御ほどを思せば、「されくつがへる今様のよしばみよりは、こよなう奥ゆかしう」と思さるるに、いたうそそのかされて、ゐざり寄りたまへるけはひ、忍びやかに、衣被の香いとなつかしう薫り出でて、おほどかなるを、「さればよ」と思す。年ごろ思ひわたるさまなど、いとよくのたまひつづくれど、まして近き御答へは絶えてなし。「わりなのわざや」と、うち嘆きたまふ。

 君は、相手のご身分を推量なさると、「しゃれかえった当世風の風流がりやよりは、この上なく奥ゆかしい」と思い続けていたところ、たいそう勧められて、いざり寄っていらっしゃる様子、もの静かで、えびの薫香がとてもやさしく薫り出して、おっとりとしてしているので、「やはり思ったとおりであった」とお思いになる。長年恋い慕っている胸の中など、言葉巧みにおっしゃり続けるが、なおさら身近な所でのお返事はまったくない。「どうにも困ったことだ」と、つい嘆息なさる。

 「いくそたび君がしじまにまけぬらむ

  ものな言ひそと言はぬ頼みに

 のたまひも捨ててよかし。玉だすき苦し」

 「何度あなたの沈黙に負けたことでしょう

   ものを言うなとおっしゃらないことを頼みとして

嫌なら嫌とおっしゃってくださいまし。玉だすきでは苦しい」

 とのたまふ。女君の御乳母子、侍従とて、はやりかなる若人、「いと心もとなう、かたはらいたし」と思ひて、さし寄りて、聞こゆ。

 とおっしゃる。女君の御乳母子で、侍従といって、才気走った若い女房は、「とてもじれったくて、見ていられない」と思って、お側によって、お返事申し上げる。

 「鐘つきてとぢめむことはさすがにて

  答へまうきぞかつはあやなき」

 「鐘をついて論議を終わりにするように

   何も言うなとはさすがに言いかねます

  ただお答えしにくいのが、何ともうまく説明できないのです」

 いと若びたる声の、ことに重りかならぬを、人伝てにはあらぬやうに聞こえなせば、「ほどよりはあまえて」と聞きたまへど、

  「めづらしきが、なかなか口ふたがるわざかな

  言はぬをも言ふにまさると知りながら

  おしこめたるは苦しかりけり」

 とても若々しい声で、格別重々しくないのを、人伝てではないように装って申し上げると、「ご身分の割には馴れ馴れしいな」とお聞きになるが、

 「珍しいことなのが、かえって言葉に窮しますよ。

   何もおっしゃらないのは口に出して言う以上なのだとは知っていますが、

   やはりずっと黙っていらっしゃるのは辛いものですよ」

 何やかやと、はかなきことなれど、をかしきさまにも、まめやかにものたまへど、何のかひなし。

  「いとかかるも、さまかはり、思ふ方ことにものしたまふ人にや」と、ねたくて、やをら押し開けて入りたまひにけり。

 何やかやと、とりとめのないことであるが、関心を引くようにも、まじめなようにもおっしゃるが、何の反応もない。

  「まことにこんなに言うにも、態度が変わっていて、思う人が別にいらっしゃるのだろうか」と、癪になって、そっと押し開けて中に入っておしまいになった。

 命婦、「あな、うたて。たゆめたまへる」と、いとほしければ、知らず顔にて、わが方へ往にけり。この若人ども、はた、世にたぐひなき御ありさまの音聞きに、罪ゆるしきこえて、おどろおどろしうも嘆かれず、ただ、思ひもよらずにはかにて、さる御心もなきをぞ、思ひける。

 命婦、「まあ、ひどい。油断させていらっしゃって」と、気の毒なので、知らない顔をして、自分の部屋の方へ行ってしまった。先程の若い女房連中、言うまでもない、世に例のない美しいお姿の評判の高さに、お咎め申し上げず、大げさに嘆くこともせず、ただ、思いも寄らず急なことで、何のお心構えもないのを、案じるのであった。

 正身は、ただ我にもあらず、恥づかしくつつましきよりほかのことまたなければ、「今はかかるぞあはれなるかし、まだ世馴れぬ人、うちかしづかれたる」と、見ゆるしたまふものから、心得ず、なまいとほしとおぼゆる御さまなり。何ごとにつけてかは御心のとまらむ、うちうめかれて、夜深う出でたまひぬ。

 ご本人は、まったく無我夢中で、恥ずかしく身の竦むような思いの他は何も考えられないので、「最初はこのようなのがかわいいのだ。まだ世間ずれしていない人で、大切に育てられているのが」と、大目に見られる一方で、合点がゆかず、どことなく気の毒な感じに思われるご様子である。どのようなところにお心が惹かれるのだろうか、つい溜息をつかれて、夜もまだ深いうちにお出になった。

 命婦は、「いかならむ」と、目覚めて、聞き臥せりけれど、「知り顔ならじ」とて、「御送りに」とも、声づくらず。君も、やをら忍びて出でたまひにけり。

 命婦は、「どうなったのだろう」と、目を覚まして、横になって聞き耳を立てていたが、「知らない顔していよう」と考えて、「お見送りを」と、指図もしない。君も、そっと目立たぬようにお帰りになったのであった。



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