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末摘花

第一章 末摘花の物語

6.その後、訪問なく秋が過ぎる

 

本文

現代語訳

 二条院におはして、うち臥したまひても、「なほ思ふにかなひがたき世にこそ」と、思しつづけて、軽らかならぬ人の御ほどを、心苦しとぞ思しける。思ひ乱れておはするに、頭中将おはして、

 二条の院にお帰りになって、横におなりになっても、「やはり思うような女性に巡り合うことは難しいものだ」と、お思い続けになって、軽々しくないご身分のほどを、気の毒にお思いになるのであった。あれこれと思い悩んでいらっしゃるところに、頭中将がいらして、

 「こよなき御朝寝かな。ゆゑあらむかしとこそ、思ひたまへらるれ」

  と言へば、起き上がりたまひて、

  「心やすき独り寝の床にて、ゆるびにけりや。内裏よりか」

  とのたまへば、

  「しか。まかではべるままなり。朱雀院の行幸、今日なむ、楽人、舞人定めらるべきよし、昨夜うけたまはりしを、大臣にも伝へ申さむとてなむ、まかではべる。やがて帰り参りぬべうはべり」

  と、いそがしげなれば、

  「さらば、もろともに」

  とて、御粥、強飯召して、客人にも参りたまひて、引き続けたれど、一つにたてまつりて、

  「なほ、いとねぶたげなり」

  と、とがめ出でつつ、

  「隠いたまふこと多かり」

  とぞ、恨みきこえたまふ。

 「ずいぶんな朝寝ですね。きっと理由があるのだろうと、存じられますが」

  と言うと、起き上がりなさって、

  「気楽な独り寝のため、寝過ごしてしまった。内裏からか」

  とおっしゃると、

 「ええ。退出して来たところです。朱雀院への行幸は、今日、楽人や、舞人が決定される旨、昨晩承りましたので、大臣にもお伝え申そうと思って、退出して来たのです。すぐに帰参しなければなりません」

 と、急いでいるようなので、

  「それでは、ご一緒に」

 と言って、お粥や、強飯を召し上がって、客人にも差し上げなさって、お車を連ねたが、一台に相乗りなさって、

  「まだ、とても眠そうだ」

  と咎め咎めして、

  「お隠しになっていることがたくさんあるのでしょう」

  と、お恨み申し上げなさる。

 事ども多く定めらるる日にて、内裏にさぶらひ暮らしたまひつ。

  かしこには、文をだにと、いとほしく思し出でて、夕つ方ぞありける。雨降り出でて、ところせくもあるに、笠宿りせむと、はた、思されずやありけむ。かしこには、待つほど過ぎて、命婦も、「いといとほしき御さまかな」と、心憂く思ひけり。正身は、御心のうちに恥づかしう思ひたまひて、今朝の御文の暮れぬれど、なかなか、咎とも思ひわきたまはざりけり。

 事柄が多く取り決められる日なので、一日中宮中においでになった。

  あちらには、せめて後朝の文だけでもと、お気の毒にお思い出しになって、夕方にお出しになった。雨が降り出して、面倒な上に、雨宿りしようとは、とてもなれなかったのであろうか。 あちらでは、後朝の文の来る時刻も過ぎて、命婦も、「とてもお気の毒なご様子だ」と、情けなく思うのであった。ご本人は、お心の中で恥ずかしくお思いになって、今朝のお文が暮れてしまってから来たのも、かえって、非礼ともお気づきにならないのであった。

 「夕霧の晴るるけしきもまだ見ぬに

  いぶせさそふる宵の雨かな

 「夕霧が晴れる気配をまだ見ないうちに

   さらに気持ちを滅入らせる宵の雨まで降ることよ

 雲間待ち出でむほど、いかに心もとなう」

  とあり。おはしますまじき御けしきを、人びと胸つぶれて思へど、

  「なほ、聞こえさせたまへ」

  と、そそのかしあへれど、いとど思ひ乱れたまへるほどにて、え型のやうにも続けたまはねば、「夜更けぬ」とて、侍従ぞ、例の教へきこゆる。

雲の晴れ間を待つ間は、何とじれったいことでしょう」

 とある。いらっしゃらないらしいご様子を、女房たちは失望して悲しく思うが、

  「やはり、お返事は差し上げあそばしませ」

 と、お勧めしあうが、ますますお思い乱れていらっしゃる時で、型通りにも返歌がおできになれないので、「夜が更けてしまいます」と言って、侍従が、いつものようにお教え申し上げる。

 「晴れぬ夜の月待つ里を思ひやれ

  同じ心に眺めせずとも」

 「雨雲の晴れない夜の月を待っている人を思いやってください わたしと同じ気持ちで眺めているのでないにしても」

 口々に責められて、紫の紙の、年経にければ灰おくれ古めいたるに、手はさすがに文字強う、中さだの筋にて、上下等しく書いたまへり。見るかひなううち置きたまふ。

 口々に責められて、紫色の紙で、古くなったので灰の残った古めいた紙に、筆跡は何といっても文字がはっきりと書かれた、一時代前の書法で、天地を揃えてお書きになっている。見る張り合いもなくお置きになる。

 いかに思ふらむと思ひやるも、安からず。

  「かかることを、悔しなどは言ふにやあらむ。さりとていかがはせむ。我は、さりとも、心長く見果ててむ」と、思しなす御心を知らねば、かしこにはいみじうぞ嘆いたまひける。

 どのように思っているだろうか、と想像するにつけても、気が落ち着かない。

  「このようなことを、後悔されるなどと言うのであろうか。そうかといってどうすることもできない。自分は、それはそれとしてともかくも、気長に最後までお世話しよう」と、お思いになるお気持ちを知らないので、あちらではひどく嘆くのであった。

 大臣、夜に入りてまかでたまふに、引かれたてまつりて、大殿におはしましぬ。行幸のことを興ありと思ほして、君たち集りて、のたまひ、おのおの舞ども習ひたまふを、そのころのことにて過ぎゆく。

 大臣が、夜になって退出なさるのに、伴われなさって、大殿にいらっしゃった。行幸の事をおもしろいとお思いになって、ご子息達が集まって、お話なさったり、それぞれ舞いをお習いになったりするのを、そのころの日課として日が過ぎて行く。

 ものの音ども、常よりも耳かしかましくて、かたがたいどみつつ、例の御遊びならず、大篳篥、尺八の笛などの大声を吹き上げつつ、太鼓をさへ高欄のもとにまろばし寄せて、手づからうち鳴らし、遊びおはさうず。

 いろいろな楽器の音が、いつもよりもやかましくて、お互いに競争し合って、いつもの合奏とは違って、大篳篥、尺八の笛の音などが大きな音を何度も吹き上げて、太鼓までを高欄の側にころがし寄せて、自ら打ち鳴らして、演奏していらっしゃる。

 御いとまなきやうにて、せちに思す所ばかりにこそ、盗まはれたまへれ、かのわたりには、いとおぼつかなくて、秋暮れ果てぬ。なほ頼み来しかひなくて過ぎゆく。

 お暇もないような状態で、切に恋しくお思いになる所だけには、暇を盗んでお出掛けになったが、あの辺りには、すっかり御無沙汰で、秋も暮れてしまった。相変わらず頼りない状態で月日が過ぎて行く。



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