第四章 明石の君の物語 明石の浦の別れの秋の物語
1.
七月二十日過ぎ、帰京の宣旨下る
本文 |
現代語訳 |
年変はりぬ。内裏に御薬のことありて、世の中さまざまにののしる。当代の御子は、右大臣の女、承香殿の女御の御腹に男御子生まれたまへる、二つになりたまへば、いといはけなし。春宮にこそは譲りきこえたまはめ。朝廷の御後見をし、世をまつりごつべき人を思しめぐらすに、この源氏のかく沈みたまふこと、いとあたらしうあるまじきことなれば、つひに后の御諌めを背きて、赦されたまふべき定め出で来ぬ。 |
年が変わった。主上におかせられては御不例のことがあって、世の中ではいろいろと取り沙汰する。今上の御子は、右大臣の娘で、承香殿の女御がお生みになった男御子がいらっしゃるが、二歳におなりなので、たいそう幼い。東宮に御譲位申されることであろう。朝廷の御後見をし、政権を担当すべき人をお考え廻らすと、この源氏の君がこのように沈んでいらっしゃること、まことに惜しく不都合なことなので、ついに皇太后の御諌言にも背いて、御赦免になられる評定が下された。 |
去年より、后も御もののけ悩みたまひ、さまざまのもののさとししきり、騒がしきを、いみじき御つつしみどもをしたまふしるしにや、よろしうおはしましける御目の悩みさへ、このころ重くならせたまひて、もの心細く思されければ、七月二十余日のほどに、また重ねて、京へ帰りたまふべき宣旨下る。 |
去年から、皇太后も御物の怪をお悩みになり、さまざまな前兆ががしきりにあり、世間も騒がしいので、厳重な御物忌みなどをなさった効果があってか、悪くなくおいであそばした御眼病までもが、この頃重くおなりあそばして、何となく心細く思わずにはいらっしゃれなかったので、七月二十日過ぎに、再度重ねて、帰京なさるよう宣旨が下る。 |
つひのことと思ひしかど、世の常なきにつけても、「いかになり果つべきにか」と嘆きたまふを、かうにはかなれば、うれしきに添へても、また、この浦を今はと思ひ離れむことを思し嘆くに、入道、さるべきことと思ひながら、うち聞くより胸ふたがりておぼゆれど、「思ひのごと栄えたまはばこそは、我が思ひの叶ふにはあらめ」など、思ひ直す。 |
いつかはこうなることと思っていたが、世の中の定めないことにつけても、「どういうことになってしまうのだろうか」とお嘆きになるが、このように急なので、嬉しいと思うとともに、また一方で、この浦を今を限りと離れることをお嘆き悲しみになるが、入道は、当然そうなることとは思いながら、聞くなり胸のつぶれる気持ちがするが、「思い通りにお栄えになってこそ、自分の願いも叶うことなのだ」などと、思い直す。 |
つひのことと思ひしかど、世の常なきにつけても、「いかになり果つべきにか」と嘆きたまふを、かうにはかなれば、うれしきに添へても、また、この浦を今はと思ひ離れむことを思し嘆くに、入道、さるべきことと思ひながら、うち聞くより胸ふたがりておぼゆれど、「思ひのごと栄えたまはばこそは、我が思ひの叶ふにはあらめ」など、思ひ直す。 |
いつかはこうなることと思っていたが、世の中の定めないことにつけても、「どういうことになってしまうのだろうか」とお嘆きになるが、このように急なので、嬉しいと思うとともに、また一方で、この浦を今を限りと離れることをお嘆き悲しみになるが、入道は、当然そうなることとは思いながら、聞くなり胸のつぶれる気持ちがするが、「思い通りにお栄えになってこそ、自分の願いも叶うことなのだ」などと、思い直す。 |