第四章 明石の君の物語 明石の浦の別れの秋の物語
2.
明石の君の懐妊
本文 |
現代語訳 |
そのころは、夜離れなく語らひたまふ。六月ばかりより心苦しきけしきありて悩みけり。かく別れたまふべきほどなれば、あやにくなるにやありけむ、ありしよりもあはれに思して、「あやしうもの思ふべき身にもありけるかな」と思し乱る。 |
そのころは、毎夜お通いになってお語らいになる。六月頃から懐妊の兆候が現れて苦しんでいるのであった。このようにお別れなさらねばならない時なので、あいにくご愛情もいや増すというのであろうか、以前よりもいとしくお思いになって、「不思議と物思いせずにはいられない、わが身であることよ」とお悩みになる。 |
女は、さらにも言はず思ひ沈みたり。いとことわりなりや。思ひの外に悲しき道に出で立ちたまひしかど、「つひには行きめぐり来なむ」と、かつは思し慰めき。 このたびはうれしき方の御出で立ちの、「またやは帰り見るべき」と思すに、あはれなり。 |
女は、さらにいうまでもなく思い沈んでいる。まことに無理もないことであるよ。思いもかけない悲しい旅路にお立ちになったが、「けっきょくは帰京するであろう」と、一方ではお慰めになっていた。 今度は嬉しい都へのご出発であるが、「二度とここに来るようなことはあるまい」とお思いになると、しみじみと感慨無量である。 |
さぶらふ人びと、ほどほどにつけてはよろこび思ふ。京よりも御迎へに人びと参り、心地よげなるを、主人の入道、涙にくれて、月も立ちぬ。 ほどさへあはれなる空のけしきに、「なぞや、心づから今も昔も、すずろなることにて身をはふらかすらむ」と、さまざまに思し乱れたるを、心知れる人びとは、 「あな憎、例の御癖ぞ」 と、見たてまつりむつかるめり。 「月ごろは、つゆ人にけしき見せず、時々はひ紛れなどしたまへるつれなさを」 「このころ、あやにくに、なかなかの、人の心づくしにか」 と、つきしろふ。少納言、しるべして聞こえ出でし初めのことなど、ささめきあへるを、ただならず思へり。 |
お供の人々は、それぞれ身分に応じて喜んでいる。京からもお迎えに人々が参り、愉快そうにしているが、主人の入道、涙にくれているうちに、月が替わった。 季節までもしみじみとした空の様子なので、「どうして、自分から求めて今も昔も、埒もない恋のために憂き身をやつすのだろう」と、さまざまにお思い悩んでいられるのを、事情を知っている人々は、 「ああ、困った方だ。いつものお癖だ」 と拝、忌ま忌ましがっているようである。 「ここ数月来、全然、誰にもそぶりもお見せにならず、時々人目を忍んでお通いになっていらっしゃった冷淡さだったのに」 「最近は、あいにくと、かえって、女が嘆きを増すことであろうに」 と、互いに陰口をたたき合う。源少納言は、ご紹介申した当初の頃のことなどを、ささやき合っているのを、おもしろからず思っていた。 |