第二章 明石の物語 明石の姫君誕生
5.
姫君の五十日の祝
本文 |
現代語訳 |
「五月五日にぞ、五十日には当たるらむ」と、人知れず数へたまひて、ゆかしうあはれに思しやる。「何ごとも、いかにかひあるさまにもてなし、うれしからまし。口惜しのわざや。さる所にしも、心苦しきさまにて、出で来たるよ」と思す。「男君ならましかば、かうしも御心にかけたまふまじきを、かたじけなういとほしう、わが御宿世も、この御ことにつけてぞかたほなりけり」と思さるる。 |
「五月五日が、五十日に当たるだろう」と、人知れず日数を数えなさって、どうしているかといとしくお思いやりになる。「どのようなことでも、どんなにも立派にでき、嬉しいことであろうに。残念なことだ。よりによって、あのような土地に、おいたわしくお生まれになったことよ」とお思いになる。「男君であったならば、こんなにまではお心におかけなさらないのだが、恐れ多くもおいたわしく、ご自分の運命も、このご誕生に関連して不遇もあったのだ」とご理解なさる。 |
御使出だし立てたまふ。 「かならずその日違へずまかり着け」 とのたまへば、五日に行き着きぬ。思しやることも、ありがたうめでたきさまにて、まめまめしき御訪らひもあり。 |
お使いの者をお立てになる。 「必ずその日に違わずに到着せよ」 とおっしゃったので、五日に到着した。ご配慮のほども、世にまたなく結構な有様で、実用的なお見舞いの品々もある。 |
「海松や時ぞともなき蔭にゐて 何のあやめもいかにわくらむ |
「海松は、いつも変わらない蔭にいたのでは、今日が五日の節句の 五十日の祝とどうしてお分りになりましょうか |
心のあくがるるまでなむ。なほ、かくてはえ過ぐすまじきを、思ひ立ちたまひね。さりとも、うしろめたきことは、よも」 と書いたまへり。 |
飛んで行きたい気持ちです。やはり、このまま過していることはできないから、ご決心をなさい。いくらなんでも、心配なさることは、決してありません」 と書いてある。 |
入道、例の、喜び泣きしてゐたり。かかる折は、生けるかひもつくり出でたる、ことわりなりと見ゆ。 |
入道は、いつもの喜び泣きをしていた。このような時には、生きていた甲斐があるとべそをかくのも、無理はないと思われる。 |
ここにも、よろづ所狭きまで思ひ設けたりけれど、この御使なくは、闇の夜にてこそ暮れぬべかりけれ。乳母も、この女君のあはれに思ふやうなるを、語らひ人にて、世の慰めにしけり。をさをさ劣らぬ人も、類に触れて迎へ取りてあらすれど、こよなく衰へたる宮仕へ人などの、巌の中尋ぬるが落ち止まれるなどこそあれ、これは、こよなうこめき思ひあがれり。 |
ここでも、万事至らぬところのないまで盛大に準備していたが、このお使いが来なかったら、闇夜の錦のように何の見栄えもなく終わってしまったであろう。乳母も、この女君が感心するくらい理想的な人柄なのを、よい相談相手として、憂き世の慰めにしているのであった。さして劣らない女房を、縁故を頼って迎えて付けさせているが、すっかり落ちぶれはてた宮仕え人で、出家や隠棲しようとしていた人々が残っていたというのであるが、この人は、この上なくおっとりとして気位高かった。 |
聞きどころある世の物語などして、大臣の君の御ありさま、世にかしづかれたまへる御おぼえのほども、女心地にまかせて限りなく語り尽くせば、げに、かく思し出づばかりの名残とどめたる身も、いとたけくやうやう思ひなりけり。御文ももろともに見て、心のうちに、 「あはれ、かうこそ思ひの外に、めでたき宿世はありけれ。憂きものはわが身こそありけれ」 と、思ひ続けらるれど、「乳母のことはいかに」など、こまやかに訪らはせたまへるも、かたじけなく、何ごとも慰めけり。 |
聞くに値する世間話などをして、大臣の君のご様子、世間から大切にされていらっしゃるご評判なども、女心にまかせて果てもなく話をするので、「なるほど、このようにお思い出してくださるよすがを残した自分も、たいそう偉いものだ」とだんだん思うようになるのであった。お手紙を一緒に見て、心の中で、 「ああ、こんなにも意外に、幸福な運命のお方もあるものだわ。不幸なのはわたしだわ」 と、自然と思い続けられるが、「乳母はどうしているか」などと、やさしく案じてくださっているのも、もったいなくて、どんなに嫌なことも慰められるのであった。 |
御返りには、 |
お返事には、 |
「数ならぬみ島隠れに鳴く鶴を 今日もいかにと問ふ人ぞなき |
「人数に入らないわたしのもとで育つわが子を 今日の五十日の祝いはどうしているかと尋ねてくれる人は他にいません |
よろづに思うたまへ結ぼほるるありさまを、かくたまさかの御慰めにかけはべる命のほども、はかなくなむ。げに、後ろやすく思うたまへ置くわざもがな」 とまめやかに聞こえたり。 |
いろいろと物思いに沈んでおります様子を、このように時たまのお慰めに掛けておりますわたしの命も心細く存じられます。仰せの通りに、安心させていただきたいものです」 と、心からお頼み申し上げた。 |