第三章 光る源氏の物語 新旧後宮女性の動向
1.
花散里訪問
本文 |
現代語訳 |
かく、この御心とりたまふほどに、花散里などを離れ果てたまひぬるこそ、いとほしけれ。公事も繁く、所狭き御身に、思し憚るに添へても、めづらしく御目おどろくことのなきほど、思ひしづめたまふなめり。 |
このように、この方の御機嫌をとっていらっしゃる間に、花散里などをすっかり途絶えていらっしゃったのは、お気の毒なことである。公事も忙しく、気軽には動けないご身分であるため、ご遠慮されるのに加えても、目新しくお心を動かすことが来ない間、慎重にしていらっしゃるようである。 |
五月雨つれづれなるころ、公私もの静かなるに、思し起こして渡りたまへり。よそながらも、明け暮れにつけて、よろづに思しやり訪らひきこえたまふを頼みにて、過ぐいたまふ所なれば、今めかしう心にくきさまに、そばみ恨みたまふべきならねば、心やすげなり。年ごろに、いよいよ荒れまさり、すごげにておはす。 |
五月雨の降る所在ない頃、公私ともに暇なので、お思い立ってお出かけになった。訪れはなくても、朝に夕につけ、何から何までお気をつけてお世話申し上げていらっしゃるのを頼りとして、過ごしていらっしゃる所なので、今ふうに思わせぶりに、すねたり恨んだりなさることがないので、お心安いようである。この何年間に、ますます荒れがひどくなって、もの寂しい感じで暮らしていらっしゃる。 |
女御の君に御物語聞こえたまひて、西の妻戸に夜更かして立ち寄りたまへり。月おぼろにさし入りて、いとど艶なる御ふるまひ、尽きもせず見えたまふ。いとどつつましけれど、端近ううち眺めたまひけるさまながら、のどやかにてものしたまふけはひ、いとめやすし。水鶏のいと近う鳴きたるを、 |
女御の君にお話申し上げなさってから、西の妻戸の方には夜が更けてからお立ち寄りになった。月の光が朧ろに差し込んで、ますます優美なご態度、限りなく美しくお見えになる。ますます気後れするが、端近くに物思いに耽りながら眺めていらっしゃったそのままで、ゆったりとお振る舞いになるご様子、どこといって難がない。水鶏がとても近くで鳴いているので、 |
「水鶏だにおどろかさずはいかにして 荒れたる宿に月を入れまし」 |
「せめて水鶏だけでも戸を叩いて知らせてくれなかったら どのようにしてこの荒れた邸に月の光を迎え入れることができたでしょうか」 |
と、いとなつかしう、言ひ消ちたまへるぞ、 「とりどりに捨てがたき世かな。かかるこそ、なかなか身も苦しけれ」 と思す。 |
と、たいそうやさしく、恨み言を抑えていらっしゃるので、 「それぞれに捨てがたい人よ。このような人こそ、かえって気苦労することだ」 とお思いになる。 |
「おしなべてたたく水鶏におどろかば うはの空なる月もこそ入れ うしろめたう」 |
「どの家の戸でも叩く水鶏の音に見境なしに戸を開けたら わたし以外の月の光が入って来たら大変だ 心配ですね」 |
とは、なほ言に聞こえたまへど、あだあだしき筋など、疑はしき御心ばへにはあらず。年ごろ、待ち過ぐしきこえたまへるも、さらにおろかには思されざりけり。「空な眺めそ」と、頼めきこえたまひし折のことも、のたまひ出でて、 |
とは、やはり言葉の上では申し上げなさるが、浮気めいたことなど、疑いの生じるご性質ではない。長い年月、お待ち申し上げていらしたのも、まったく並み大抵の気持ちとはお思いにならなかった。「空を眺めなさるな」と、お約束申された時のことも、お話し出されて、 |
「などて、たぐひあらじと、いみじうものを思ひ沈みけむ。憂き身からは、同じ嘆かしさにこそ」 |
「どうして、またとない不幸だと、ひどく嘆き悲しんだのでしょう。辛い身の上にとっは、同じ悲しさですのに」 |
とのたまへるも、おいらかにらうたげなり。例の、いづこの御言の葉にかあらむ、尽きせずぞ語らひ慰めきこえたまふ。 |
とおっしゃるのも、おっとりとしていらしてかわいらしい。例によって、どこからお出しになる言葉であろうか、言葉の限りを尽くしてお慰め申し上げになる。 |