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関屋

第一章 空蝉の物語 逢坂関での再会の物語

3. 逢坂の関での再会

 

本文

現代語訳

 九月晦日なれば、紅葉の色々こきまぜ、霜枯れの草むらむらをかしう見えわたるに、関屋より、さとくづれ出でたる旅姿どもの、色々の襖のつきづきしき縫物、括り染めのさまも、さるかたにをかしう見ゆ。御車は簾下ろしたまひて、かの昔の小君、今、右衛門佐なるを召し寄せて、

 九月の晦日なので、紅葉の色とりどりに混じり、霜枯れの叢が趣深く見わたされるところに、関屋からさっと現れ出た何人もの旅姿の、色とりどりの狩襖に似つかわしい刺繍をし、絞り染めした姿も、興趣深く見える。お車は簾を下ろしなさって、あの昔の小君、今、右衛門佐である者を召し寄せて、

 「今日の御関迎へは、え思ひ捨てたまはじ」

  などのたまふ御心のうち、いとあはれに思し出づること多かれど、おほぞうにてかひなし。女も、人知れず昔のこと忘れねば、とりかへして、ものあはれなり。

 「今日のお関迎えは、無視なさるまいな」

  などとおっしゃる、ご心中、まことにしみじみとお思い出しになることが数多いけれど、ありきたりの伝言では何の効もない。女も人知れず昔のことを忘れないので、あの頃を思い出して、しみじみと胸一杯になる。

 「行くと来とせき止めがたき涙をや

   絶えぬ清水と人は見るらむ

 「行く人と来る人の逢坂の関で、せきとめがたく流れるわたしの涙を

   絶えず流れる関の清水と人は見るでしょう

 え知りたまはじかし」と思ふに、いとかひなし。

 お分かりいただけまい」と思うと、本当に効ない。


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