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関屋

第一章 空蝉の物語 逢坂関での再会の物語

2. 源氏、石山寺参詣

 

本文

現代語訳

 関入る日しも、この殿、石山に御願果しに詣でたまひけり。京より、かの紀伊守などいひし子ども、迎へに来たる人びと、「この殿かく詣でたまふべし」と告げければ、「道のほど騒がしかりなむものぞ」とて、まだ暁より急ぎけるを、女車多く、所狭うゆるぎ来るに、日たけぬ。

 逢坂の関に入る日、ちょうど、この殿が、石山寺にご願果たしに参詣なさったのであった。京から、あの紀伊守などといった子どもや、迎えに来た人々、「この殿がこのように参詣なさる予定だ」と告げたので、「道中、きっと混雑するだろう」と思って、まだ暁のうちから急いだが、女車が多く、道いっぱいに練り歩いて来たので、日が高くなってしまった。

 打出の浜来るほどに、「殿は、粟田山越えたまひぬ」とて、御前の人びと、道もさりあへず来込みぬれば、関山に皆下りゐて、ここかしこの杉の下に車どもかき下ろし、木隠れに居かしこまりて過ぐしたてまつる。車など、かたへは後らかし、先に立てなどしたれど、なほ、類広く見ゆ。

 打出の浜にやって来た時に、「殿は、粟田山を既にお越えになった」と言って、御前駆の人々が、道も避けきれないほど大勢入り込んで来たので、関山で皆下りてかしこまって、あちらこちらの杉の木の下に幾台もの車の轅を下ろして、木蔭に座りかしこまってお通し申し上げる。車などは行列の一部は遅らせたり、先にやったりしたが、それでもなお、一族が多く見える。

 車十ばかりぞ、袖口、物の色あひなども、漏り出でて見えたる、田舎びず、よしありて、斎宮の御下りなにぞやうの折の物見車思し出でらる。殿も、かく世に栄え出でたまふめづらしさに、数もなき御前ども、皆目とどめたり。

 車十台ほどから、袖口、衣装の色合いなども、こぼれ出て見えるのが、田舎風にならず品があって、斎宮のご下向か何かの時の物見車が自然とお思い出しになられる。殿も、このように世に栄え出なされた珍しさに、数知れない御前駆の者たちが、皆目を留めた。


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