第二章 空蝉の物語 手紙を贈る
2.
空蝉へ手紙を贈る
本文 |
現代語訳 |
佐召し寄せて、御消息あり。「今は思し忘れぬべきことを、心長くもおはするかな」と思ひゐたり。 |
右衛門佐を召し寄せて、お便りがある。「今ではお忘れになってしまいそうなことを、いつまでも変わらないお気持ちでいらっしゃるなあ」と思った。 |
「一日は、契り知られしを、さは思し知りけむや。 わくらばに行き逢ふ道を頼みしも なほかひなしや潮ならぬ海 関守の、さもうらやましく、めざましかりしかな」 |
「先日は、ご縁の深さを知らされましたが、そのようにお思いになりませんか。 偶然に逢坂の関でお逢いしたことに期待を寄せていましたが それも効ありませんね、やはり潮海でない淡海だから 関守が、さも羨ましく、忌ま忌ましく思われましたよ」 |
とあり。 |
とある。 |
「年ごろのとだえも、うひうひしくなりにけれど、心にはいつとなく、ただ今の心地するならひになむ。好き好きしう、いとど憎まれむや」 |
「長年の御無沙汰も、いまさら気恥ずかしいが、心の中ではいつも思っていて、まるで昨日のことのように思われる性分で。あだな振る舞いだと、ますます恨まれようか」 |
とて、賜へれば、かたじけなくて持て行きて、 |
と言って、お渡しになったので、恐縮して持って行って、 |
「なほ、聞こえたまへ。昔にはすこし思しのくことあらむと思ひたまふるに、同じやうなる御心のなつかしさなむ、いとどありがたき。すさびごとぞ用なきことと思へど、えこそすくよかに聞こえ返さね。女にては、負けきこえたまへらむに、罪ゆるされぬべし」 |
「とにかく、お返事なさいませ。昔よりは少しお疎んじになっているところがあろうと存じましたが、相変わらぬお気持ちの優しさといったら、ひとしおありがたい。浮気事の取り持ちは、無用のことと思うが、とてもきっぱりとお断り申し上げられません。女の身としては、負けてお返事を差し上げなさったところで、何の非難も受けますまい」 |
など言ふ。今は、ましていと恥づかしう、よろづのこと、うひうひしき心地すれど、めづらしきにや、え忍ばれざりけむ、 |
などと言う。今では、更にたいそう恥ずかしく、すべての事柄、面映ゆい気がするが、久しぶりの気がして、堪えることができなかったのであろうか、 |
「逢坂の関やいかなる関なれば しげき嘆きの仲を分くらむ 夢のやうになむ」 |
「逢坂の関は、いったいどのような関なのでしょうか こんなに深い嘆きを起こさせ、人の仲を分けるのでしょう 夢のような心地がします」 |
と聞こえたり。あはれもつらさも、忘れぬふしと思し置かれたる人なれば、折々は、なほ、のたまひ動かしけり。 |
と申し上げた。いとしさも恨めしさも、忘れられない人とお思い置かれている女なので、時々は、やはり、お便りなさって気持ちを揺するのであった。 |