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薄雲

第二章 源氏の女君たちの物語 新春の女君たちの生活

3. 源氏、大堰山荘から嵯峨野の御堂、桂院に回る

 

本文

現代語訳

 かしこには、いとのどやかに、心ばせあるけはひに住みなして、家のありさまも、やう離れめづらしきに、みづからのけはひなどは、見るたびごとに、やむごとなき人びとなどに劣るけぢめこよなからず、容貌、用意あらまほしうねびまさりゆく。

 あちらでは、まことのんびりと、風雅な嗜みのある感じに暮らしていて、邸の有様も、普通とは違って珍しいうえに、本人の態度などは、会うたびごとに、高貴な方々にひどく見劣りする差は見られず、容貌や、心ばせも申し分なく成長していく。

 「ただ、世の常のおぼえにかき紛れたらば、さるたぐひなくやはと思ふべきを、世に似ぬひがものなる親の聞こえなどこそ、苦しけれ。人のほどなどは、さてもあるべきを」など思す。

 「ただ、普通の評判で目立たないなら、そのような例はいないでもないと思ってもよいのだが、世にもまれな偏屈者だという父親の評判など、それが困ったものだ。人柄などは、十分であるが」 などとお思いになる。

 はつかに、飽かぬほどにのみあればにや、心のどかならず立ち帰りたまふも苦しくて、「夢のわたりの浮橋か」とのみ、うち嘆かれて、箏の琴のあるを引き寄せて、かの明石にて、小夜更けたりし音も、例の思し出でらるれば、琵琶をわりなく責めたまへば、すこし掻き合はせたる、「いかで、かうのみひき具しけむ」と思さる。若君の御ことなど、こまやかに語りたまひつつおはす。

 ほんのわずかの逢瀬で、物足りないくらいだからであろうか、あわただしくお帰りになるのも気の毒なので、「夢の中の浮橋か」とばかり、ついお嘆きになられて、箏の琴があるのを引き寄せて、あの明石で、夜更けての音色も、いつもどおりに自然と思い出されるので、琵琶を是非にとお勧めになると、少し掻き合わせたのが、「どうして、これほど上手に何でもお弾きになれたのだろう」と思わずにはいらっしゃれない。若君の御事など、こまごまとお話しになってお過ごしになる。

 ここは、かかる所なれど、かやうに立ち泊りたまふ折々あれば、はかなき果物、強飯ばかりはきこしめす時もあり。近き御寺、桂殿などにおはしまし紛らはしつつ、いとまほには乱れたまはねど、また、いとけざやかにはしたなく、おしなべてのさまにはもてなしたまはぬなどこそは、いとおぼえことには見ゆめれ。

 ここは、このような山里であるが、このようにお泊まりになる時々があるので、ちょっとした果物や、強飯ぐらいはお召し上がりになる時もある。近くの御寺、桂殿などにお出かけになるふうに装い装いして、一途にのめり込みなさらないが、また一方、まことにはっきりと中途半端な普通の相手としてはお扱いなさらないなどは、愛情も格別深く見えるようである。

 女も、かかる御心のほどを見知りきこえて、過ぎたりと思すばかりのことはし出でず、また、いたく卑下せずなどして、御心おきてにもて違ふことなく、いとめやすくぞありける。

 女も、このようなお心をお知り申し上げて、出過ぎているとお思いになるようなことはせず、また、ひどく低姿勢になることなどもせず、お心づもりに背くこともなく、たいそう無難な態度でいたのであった。

 おぼろけにやむごとなき所にてだに、かばかりもうちとけたまふことなく、気高き御もてなしを聞き置きたれば、

 並々でない高貴な婦人方の所でさえ、これほど気をお許しになることもなく、礼儀正しいお振る舞いであることを、聞いていたので、

 「近きほどに交じらひては、なかなかいと目馴れて、人あなづられなることどももぞあらまし。たまさかにて、かやうにふりはへたまへるこそ、たけき心地すれ」

 「近い所で一緒にいたら、かえってますます目慣れて、人から軽蔑されることなどもあろう。時たまでも、このようにわざわざお越しくださるほうが、たいした気持ちがする」

 と思ふべし。

 と思うのであろう。

 明石にも、さこそ言ひしか、この御心おきて、ありさまをゆかしがりて、おぼつかなからず、人は通はしつつ、胸つぶるることもあり、また、おもだたしく、うれしと思ふことも多くなむありける。

 明石でも、ああは言ったが、このお心づもりや、様子を知りたくて、気がかりでないように、使者を行き来させて、胸をどきりとさせることもあったり、また、面目に思うことも多くあったりするのであった。



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