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薄雲

第四章 冷泉帝の物語 出生の秘密と譲位ほのめかし

5. 源氏、帝の意向を峻絶

 

本文

現代語訳

 秋の司召に、太政大臣になりたまふべきこと、うちうちに定め申したまふついでになむ、帝、思し寄する筋のこと、漏らしきこえたまひけるを、大臣、いとまばゆく、恐ろしう思して、さらにあるまじきよしを申し返したまふ。

 秋の司召で、太政大臣におなりになるようなことを、内々にお定め申しなさる機会に、帝が、かねてお考えの意向を、お洩らし申し上げられたので、大臣、とても目も上げられず、恐ろしくお思いになって、決してあってはならないことである趣旨のご辞退を申し上げなさる。

 「故院の御心ざし、あまたの皇子たちの御中に、とりわきて思し召しながら、位を譲らせたまはむことを思し召し寄らずなりにけり。何か、その御心改めて、及ばぬ際には昇りはべらむ。ただ、もとの御おきてのままに、朝廷に仕うまつりて、今すこしの齢かさなりはべりなば、のどかなる行なひに籠もりはべりなむと思ひたまふる」

 「故院のお志、多数の親王たちの中で、特別に御寵愛くださりながら、御位をお譲りあそばすことをお考えあそばしませんでした。どうして、その御遺志に背いて、及びもつかない位につけましょうか。ただ、もとのお考えどおりに、朝廷にお仕えして、もう少し年を重ねたならば、のんびりとした仏道にひき籠もりましょうと存じております」

 と、常の御言の葉に変はらず奏したまへば、いと口惜しうなむ思しける。

 と、いつものお言葉と変わらずに奏上なさるので、まことに残念にお思いになった。

 太政大臣になりたまふべき定めあれど、しばし、と思すところありて、ただ御位添ひて、牛車聴されて参りまかでしたまふを、帝、飽かず、かたじけなきものに思ひきこえたまひて、なほ親王になりたまふべきよしを思しのたまはすれど、

 太政大臣におなりになるよう決定があるが、今しばらく、とお考えになるところがあって、ただ位階が一つ昇進して、牛車を聴されて、参内や退出をなさるのを、帝、もの足りなく、もったいないこととお思い申し上げなさって、やはり親王におなりになるよう仰せになるが、

 「世の中の御後見したまふべき人なし。権中納言、大納言になりて、右大将かけたまへるを、今一際あがりなむに、何ごとも譲りてむ。さて後に、ともかくも、静かなるさまに」

 「政治のご後見をおできになる人がいない。権中納言が、大納言になって右大将を兼任していらっしゃるが、もう一段昇進したならば、何ごとも譲ろう。その後に、どうなるにせよ、静かに暮らそう」

 とぞ思しける。なほ思しめぐらすに、

 とお思いになっていた。さらにあれこれ、お考えめぐらすと、

 「故宮の御ためにもいとほしう、また主上のかく思し召し悩めるを見たてまつりたまふもかたじけなきに、誰れかかることを漏らし奏しけむ」

 「故后宮のためにも気の毒であり、また主上のこのようにお悩みでいらっしゃるのを拝し上げなさるにも恐れ多くて、誰がこのようなことを洩らしお耳に入れ申したのだろうか」

 と、あやしう思さる。

 と、不思議に思わずにはいらっしゃれない。

 命婦は、御匣殿の替はりたる所に移りて、曹司たまはりて参りたり。大臣、対面したまひて、

 王命婦は、御匣殿が替わったところに移って、お部屋を賜って出仕していた。大臣、お目にかかりなさって、

 「このことを、もし、もののついでに、露ばかりにても漏らし奏したまふことやありし」

 「このことを、もしや、何かの機会に、少しでも洩らしお耳に入れ申されたことはありましたか」

 と案内したまへど、

 とお尋ねになるが、

 「さらに。かけても聞こし召さむことを、いみじきことに思し召して、かつは、罪得ることにやと、主上の御ためを、なほ思し召し嘆きたりし」

 「けっして。少しでも帝のお耳に入りますことを、大変だと思し召しで、しかしまた一方では、罪を得ることではないかと、主上の御身の上を、やはりお案じあそばして嘆いていらっしゃいました」

 と聞こゆるにも、ひとかたならず心深くおはせし御ありさまなど、尽きせず恋ひきこえたまふ。

 と申し上げるにつけても、並々ならず思慮深い方でいらっしゃったご様子などを、限りなく恋しくお思い出し申し上げなさる。



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