第三章 光る源氏周辺の人々の物語 内大臣家の物語
5. 夕霧、内大臣と対面
本文 |
現代語訳 |
大臣、和琴ひき寄せたまひて、律の調べのなかなか今めきたるを、さる上手の乱れて掻い弾きたまへる、いとおもしろし。御前の梢ほろほろと残らぬに、老い御達など、ここかしこの御几帳のうしろに、かしらを集へたり。 |
内大臣は、和琴を引き寄せなさって、律調のかえって今風なのを、その方面の名人がうちとけてお弾きになっているのは、たいそう興趣がある。御前のお庭の木の葉がほろほろと落ちきって、老女房たちが、あちらこちらの御几帳の後に、集まって聞いていた。 |
「風の力蓋し寡し」 |
「風の力がおよそ弱い」 |
と、うち誦じたまひて、 |
と、朗誦なさって、 |
「琴の感ならねど、あやしくものあはれなる夕べかな。なほ、あそばさむや」 |
「琴のせいではないが、不思議としみじみとした夕べですね。もっと、弾きましょうよ」 |
とて、「秋風楽」に掻きあはせて、唱歌したまへる声、いとおもしろければ、皆さまざま、大臣をもいとうつくしと思ひきこえたまふに、いとど添へむとにやあらむ、冠者の君参りたまへり。 |
とおっしゃって、「秋風楽」に調子を整えて、唱歌なさる声、とても素晴らしいので、みなそれぞれに、内大臣をも見事だとお思いになっていらっしゃると、それをいっそう喜ばせようというのであろうか、冠者の君が参上なさった。 |
「こなたに」とて、御几帳隔てて入れたてまつりたまへり。 |
「こちらに」とおっしゃって、御几帳を隔ててお入れ申し上げになった。 |
「をさをさ対面もえ賜はらぬかな。などかく、この御学問のあながちならむ。才のほどよりあまり過ぎぬるもあぢきなきわざと、大臣も思し知れることなるを、かくおきてきこえたまふ、やうあらむとは思ひたまへながら、かう籠もりおはすることなむ、心苦しうはべる」 |
「あまりお目にかかれませんね。どうしてこう、このご学問に打ち込んでいらっしゃるのでしょう。学問が身分以上になるのもよくないことだと、大臣もご存知のはずですが、こうもお命じ申し上げなさるのは、考える子細もあるのだろうと存じますが、こんなに籠もってばかりいらっしゃるのは、お気の毒でございます」 |
と聞こえたまひて、 |
と申し上げなさって、 |
「時々は、ことわざしたまへ。笛の音にも古事は、伝はるものなり」 |
「時々は、別のことをなさい。笛の音色にも昔の聖賢の教えは、伝わっているものです」 |
とて、御笛たてまつりたまふ。 |
とおっしゃって、御笛を差し上げなさる。 |
いと若うをかしげなる音に吹きたてて、いみじうおもしろければ、御琴どもをばしばし止めて、大臣、拍子おどろおどろしからずうち鳴らしたまひて、 |
たいそう若々しく美しい音色を吹いて、大変に興がわいたので、お琴はしばらく弾きやめて、大臣が、拍子をおおげさではなく軽くお打ちになって、 |
「萩が花摺り」 |
「萩の花で摺った」 |
など歌ひたまふ。 |
などとお歌いになる。 |
「大殿も、かやうの御遊びに心止めたまひて、いそがしき御政事どもをば逃れたまふなりけり。げに、あぢきなき世に、心のゆくわざをしてこそ、過ぐしはべりなまほしけれ」 |
「大殿も、このような管弦の遊びにご熱心で、忙しいご政務からはお逃げになるのでした。なるほど、つまらない人生ですから、満足のゆくことをして、過ごしたいものでございますね」 |
などのたまひて、御土器参りたまふに、暗うなれば、御殿油参り、御湯漬、くだものなど、誰も誰もきこしめす。 |
などとおっしゃって、お杯をお勧めなさっているうちに、暗くなったので、燈火をつけて、お湯漬や果物などを、どなたもお召し上がりになる。 |
姫君はあなたに渡したてまつりたまひつ。しひて気遠くもてなしたまひ、「御琴の音ばかりをも聞かせたてまつらじ」と、今はこよなく隔てきこえたまふを、 |
姫君はあちらの部屋に引き取らせなさった。つとめて二人の間を遠ざけなさって、「お琴の音だけもお聞かせしないように」と、今ではすっかりお引き離し申していらっしゃるのを、 |
「いとほしきことありぬべき世なるこそ」 |
「お気の毒なことが起こりそうなお仲だ」 |
と、近う仕うまつる大宮の御方のねび人ども、ささめきけり。 |
と、お側近くお仕え申している大宮づきの年輩の女房たちは、ひそひそ話しているのであった。 |