第一章 玉鬘の物語 筑紫流離の物語
1. 源氏と右近、夕顔を回想
本文 |
現代語訳 |
年月隔たりぬれど、飽かざりし夕顔を、つゆ忘れたまはず、心々なる人のありさまどもを、見たまひ重ぬるにつけても、「あらましかば」と、あはれに口惜しくのみ思し出づ。 |
年月がたってしまったが、諦めてもなお諦めきれなかった夕顔を、少しもお忘れにならず、人それぞれの性格を、次々に御覧になって来たのにつけても、「もし生きていたならば」と、悲しく残念にばかりお思い出しになる。 |
右近は、何の人数ならねど、なほ、その形見と見たまひて、らうたきものに思したれば、古人の数に仕うまつり馴れたり。須磨の御移ろひのほどに、対の上の御方に、皆人びと聞こえ渡したまひしほどより、そなたにさぶらふ。心よくかいひそめたるものに、女君も思したれど、心のうちには、 |
右近は、物の数にも入らないが、やはり、その形見と御覧になって、お目を掛けていらっしゃたので、古参の女房の一人として長くお仕えしていた。須磨へのご退去の折に、対の上に女房たちを皆お仕え申させなさったとき以来、あちらでお仕えしている。気立てのよく控え目な女房だと、女君もお思いになっていたが、心の底では、 |
「故君ものしたまはましかば、明石の御方ばかりのおぼえには劣りたまはざらまし。さしも深き御心ざしなかりけるをだに、落としあぶさず、取りしたためたまふ御心長さなりければ、まいて、やむごとなき列にこそあらざらめ、この御殿移りの数のうちには交じらひたまひなまし」 |
「亡くなったご主人が生きていられたならば、明石の御方くらいのご寵愛に負けはしなかったろうに。それほど深く愛していられなかった女性でさえ、お見捨てにならず、めんどうを見られるお心の変わらないお方だったのだから、まして、身分の高い人たちと同列とはならないが、この度のご入居者の数のうちには加わっていたであろうに」 |
と思ふに、飽かず悲しくなむ思ひける。 |
と思うと、悲しんでも悲しみきれない思いであった。 |
かの西の京にとまりし若君をだに行方も知らず、ひとへにものを思ひつつみ、また、「今さらにかひなきことによりて、我が名漏らすな」と、口がためたまひしを憚りきこえて、尋ねても訪づれきこえざりしほどに、その御乳母の男、少弐になりて、行きければ、下りにけり。かの若君の四つになる年ぞ、筑紫へは行きける。 |
あの西の京に残っていた若君の行方をすら知らず、ひたすら世をはばかり、又、「今更いっても始まらないことだから、しゃべってうっかり私の名を世間に漏らすな」と、口止めなさったことにご遠慮申して、安否をお尋ね申さずにいたうちに、若君の乳母の夫が、大宰少弍になって、赴任したので、下ってしまった。あの若君が四歳になる年に、筑紫へは行ったのであった。 |