第二章 鬚黒大将家の物語 北の方、乱心騒動
6. 鬚黒、玉鬘に手紙だけを贈る
本文 |
現代語訳 |
夜一夜、打たれ引かれ、泣きまどひ明かしたまひて、すこしうち休みたまへるほどに、かしこへ御文たてまつれたまふ。 |
一晩中、打たれたり引かれたり、泣きわめいて夜をお明かしになって、少しお静かになっているころに、あちらへお手紙を差し上げなさる。 |
「昨夜、にはかに消え入る人のはべしにより、雪のけしきもふり出でがたく、やすらひはべしに、身さへ冷えてなむ。御心をばさるものにて、人いかに取りなしはべりけむ」 |
「昨夜、急に意識を失った人が出まして、雪の降り具合も出掛けにくく、ためらっておりましたところ、身体までが冷えてしまいました。あなたのお気持ちはもちろんのこと、周囲の人はどのように取り沙汰したことでございましょう」 |
と、きすくに書きたまへり。 |
と、生真面目にお書きになっている。 |
「心さへ空に乱れし雪もよに ひとり冴えつる片敷の袖 堪へがたくこそ」 |
「心までが中空に思い乱れましたこの雪に 独り冷たい片袖を敷いて寝ました 耐えられませんでした」 |
と、白き薄様に、つつやかに書いたまへれど、ことにをかしきところもなし。手はいときよげなり。才かしこくなどぞものしたまひける。 |
と、白い薄様に、重々しくお書きになっているが、格別風情のあるところもない。筆跡はたいそうみごとである。漢学の才能は高くいらっしゃるのであった。 |
尚侍の君、夜がれを何とも思されぬに、かく心ときめきしたまへるを、見も入れたまはねば、御返りなし。男、胸つぶれて、思ひ暮らしたまふ。 |
尚侍の君は、夜離れを何ともお思いなさらないので、このように心はやっていらっしゃるのを、御覧にもならないので、お返事もない。男は、落胆して、一日中物思いをなさる。 |
北の方は、なほいと苦しげにしたまへば、御修法など始めさせたまふ。心のうちにも、「このころばかりだに、ことなく、うつし心にあらせたまへ」と念じたまふ。「まことの心ばへのあはれなるを見ず知らずは、かうまで思ひ過ぐすべくもなきけ疎さかな」と、思ひゐたまへり。 |
北の方は、依然としてたいそう苦しそうになさっているので、御修法などを始めさせなさる。心の中でも、「せめてもう暫くの間だけでも、何事もなく、正気でいらっしゃってください」とお祈りになる。「ほんとうの気立てが優しいのを知らなかったら、こんなにまで我慢できない気味悪さだ」と、思っていらっしゃった。 |