第四章 玉鬘の物語 宮中出仕から鬚黒邸へ
7. 二月、源氏、玉鬘へ手紙を贈る
本文 |
現代語訳 |
二月にもなりぬ。大殿は、 |
二月になった。大殿は、 |
「さても、つれなきわざなりや。いとかう際々しうとしも思はで、たゆめられたるねたさを」、人悪ろく、すべて御心にかからぬ折なく、恋しう思ひ出でられたまふ。 |
「それにしても、無愛想な仕打ちだ。まったくこのようにきっぱりと自分のものにしようとは思いもかけないで、油断させられたのが悔しい」と、体裁悪く、何から何までお気にならない時とてなく、恋しく思い出さずにはいらっしゃれない。 |
「宿世などいふもの、おろかならぬことなれど、わがあまりなる心にて、かく人やりならぬものは思ふぞかし」 |
「運命などと言うのも、軽く見てはならないものだが、自分のどうすることもできない気持ちから、このように誰のせいでもなく物思いをするのだ」 |
と、起き臥し面影にぞ見えたまふ。 |
と、寝ても起きても幻のようにまぶたにお見えになる。 |
大将の、をかしやかに、わららかなる気もなき人に添ひゐたらむに、はかなき戯れごともつつましう、あいなく思されて、念じたまふを、雨いたう降りて、いとのどやかなるころ、かやうのつれづれも紛らはし所に渡りたまひて、語らひたまひしさまなどの、いみじう恋しければ、御文たてまつりたまふ。 |
大将のような、趣味も、愛想もない人に連れ添っていては、ちょっとした冗談も遠慮されつまらなく思われなさって、我慢していらっしゃるとき、雨がひどく降って、とてものんびりとしたころ、このような所在なさも気の紛らし所にお行きになって、お話しになったことなどが、たいそう恋しいので、お手紙を差し上げなさる。 |
右近がもとに忍びて遣はすも、かつは、思はむことを思すに、何ごともえ続けたまはで、ただ思はせたることどもぞありける。 |
右近のもとにこっそりと差し出すのも、一方では、それをどのように思うかとお思いになると、詳しくは書き綴ることがおできになれず、ただ相手の推察に任せた書きぶりなのであった。 |
「かきたれてのどけきころの春雨に ふるさと人をいかに偲ぶや |
「降りこめられてのどやかな春雨のころ 昔馴染みのわたしをどう思っていらっしゃいますか |
つれづれに添へて、うらめしう思ひ出でらるること多うはべるを、いかでか分き聞こゆべからむ」 |
所在なさにつけても、恨めしく思い出されることが多くございますが、どのようにして分かるように申し上げたらよいのでしょうか」 |
などあり。 |
などとある。 |
隙に忍びて見せたてまつれば、うち泣きて、わが心にも、ほど経るままに思ひ出でられたまふ御さまを、まほに、「恋しや、いかで見たてまつらむ」などは、えのたまはぬ親にて、「げに、いかでかは対面もあらむ」と、あはれなり。 |
人のいない間にこっそりとお見せ申し上げると、ほろっと泣いて、自分の心でも、月日のたつにつれて、思い出さずにはいらっしゃれないご様子を、正面きって、「恋しい、何とかしてお目にかかりたい」などとは、おっしゃることのできない親なので、「おっしゃるとおり、どうしてお会いすることができようか」と、もの悲しい。 |
時々、むつかしかりし御けしきを、心づきなう思ひきこえしなどは、この人にも知らせたまはぬことなれば、心ひとつに思し続くれど、右近は、ほのけしき見けり。いかなりけることならむとは、今に心得がたく思ひける。 |
時々、厄介であったご様子を、気にくわなくお思い申し上げたことなどは、この人にもお知らせになっていないことなので、自分ひとりでお思い続けていらっしゃるが、右近は、うすうす感じ取っていたのであった。実際、どんな仲であったのだろうと、今でも納得が行かず思っていたのであった。 |
御返り、「聞こゆるも恥づかしけれど、おぼつかなくやは」とて、書きたまふ。 |
お返事は、「差し上げるのも気が引けるが、ご不審に思われようか」と思って、お書きになる。 |
「眺めする軒の雫に袖ぬれて うたかた人を偲ばざらめや |
「物思いに耽りながら軒の雫に袖を濡らして どうしてあなた様のことを思わずにいられましょうか |
ほどふるころは、げに、ことなるつれづれもまさりはべりけり。あなかしこ」 |
時がたつと、おっしゃるとおり、格別な所在なさも募りますこと。あなかしこ」 |
と、ゐやゐやしく書きなしたまへり。 |
と、恭しく(うやうやしく)お書きになっていた。 |