第一章 光る源氏の物語 薫物合せ
4. 薫物合せ後の饗宴
本文 |
現代語訳 |
月さし出でぬれば、大御酒など参りて、昔の御物語などしたまふ。霞める月の影心にくきを、雨の名残の風すこし吹きて、花の香なつかしきに、御殿のあたり言ひ知らず匂ひ満ちて、人の御心地いと艶あり。 |
月が出たので、御酒などをお召し上がりになって、昔のお話などをなさる。霞んでいる月の光が奥ゆかしいところに、雨上がりの風が少し吹いて、梅の花の香りが優しく薫り、御殿の辺りに何とも言いようもなく匂い満ちて、皆のお気持ちはとてもうっとりしている。 |
蔵人所の方にも、明日の御遊びのうちならしに、御琴どもの装束などして、殿上人などあまた参りて、をかしき笛の音ども聞こゆ。 |
蔵人所の方にも、明日の管弦の御遊の試演に、お琴類の準備などをして、殿上人などが大勢参上して、美しい幾種もの笛の音が聞こえて来る。 |
内の大殿の頭中将、弁少将なども、見参ばかりにてまかづるを、とどめさせたまひて、御琴ども召す。 |
内の大殿の頭中将、弁少将なども、挨拶だけで退出するのを、お止めさせになって、いくつも御琴をお取り寄せになる。 |
宮の御前に琵琶、大臣に箏の御琴参りて、頭中将、和琴賜はりて、はなやかに掻きたてたるほど、いとおもしろく聞こゆ。宰相中将、横笛吹きたまふ。折にあひたる調子、雲居とほるばかり吹きたてたり。弁少将、拍子取りて、「梅が枝」出だしたるほど、いとをかし。童にて、韻塞ぎの折、「高砂」謡ひし君なり。宮も大臣もさしいらへしたまひて、ことことしからぬものから、をかしき夜の御遊びなり。 |
宮の御前に琵琶、大臣に箏の御琴を差し上げて、頭中将は、和琴を賜って、賑やかに合奏なさっているのは、たいそう興趣深く聞こえる。宰相中将、横笛をお吹きになる。季節にあった調べを、雲居に響くほど吹き立てた。弁少将は拍子を取って、「梅が枝」を謡い出したところ、たいそう興味深い。子供の時、韻塞ぎの折に、「高砂」を謡った君である。宮も大臣も一緒にお謡いになって、仰々しくはないが、趣のある夜の管弦の催しである。 |
御土器参るに、宮、 |
お杯をお勧めになる時に、宮が、 |
「鴬の声にやいとどあくがれむ 心しめつる花のあたりに 千代も経ぬべし」 |
「鴬の声にますます魂が抜け出しそうです 心を惹かれた花の所では、 千年も過ごしてしまいそうです」 |
と聞こえたまへば、 |
とお詠み申し上げなさると、 |
「色も香もうつるばかりにこの春は 花咲く宿をかれずもあらなむ」 |
「色艶も香りも移り染まるほどに、今年の春は 花の咲くわたしの家を絶えず訪れて下さい」 |
頭中将に賜へば、取りて、宰相中将にさす。 |
頭中将におさずけになると、受けて、宰相中将に廻す。 |
「鴬のねぐらの枝もなびくまで なほ吹きとほせ夜半の笛竹」 |
「鴬のねぐらの枝もたわむほど 夜通し笛の音を吹き澄まして下さい」 |
宰相中将、 |
宰相中将は、 |
「心ありて風の避くめる花の木に とりあへぬまで吹きや寄るべき 情けなく」 |
「気づかって風が避けて吹くらしい梅の花の木に むやみに近づいて笛を吹いてよいものでしょうか 無風流ですね」 |
と、皆うち笑ひたまふ。弁少将、 |
と言うと、皆お笑いになる。弁少将は、 |
「霞だに月と花とを隔てずは ねぐらの鳥もほころびなまし」 |
「霞でさえ月と花とを隔てなければ ねぐらに帰る鳥も鳴き出すことでしょう」 |
まことに、明け方になりてぞ、宮帰りたまふ。御贈り物に、みづからの御料の御直衣の御よそひ一領、手触れたまはぬ薫物二壺添へて、御車にたてまつらせたまふ。宮、 |
ほんとうに、明け方になって、宮はお帰りになる。御贈物に、ご自身の御料の御直衣のご装束一揃い、手をおつけになっていない薫物を二壷添えて、お車までお届けになる。宮は、 |
「花の香をえならぬ袖にうつしもて ことあやまりと妹やとがめむ」 |
「この花の香りを素晴らしい袖に移して帰ったら 女と過ちを犯したのではないかと妻が咎めるでしょう」 |
とあれば、 |
と言うので、 |
「いと屈したりや」 |
「たいそう弱気ですな」 |
と笑ひたまふ。御車かくるほどに、追ひて、 |
と言ってお笑いになる。お車に牛を繋ぐところに、追いついて、 |
「めづらしと故里人も待ちぞ見む 花の錦を着て帰る君 またなきことと思さるらむ」 |
「珍しいと家の人も待ち受けて見ましょう この花の錦を着て帰るあなたを めったにないこととお思いになるでしょう」 |
とあれば、いといたうからがりたまふ。次々の君達にも、ことことしからぬさまに、細長、小袿などかづけたまふ。 |
とおっしゃるので、とてもつらがりなさる。以下の公達にも、大げさにならないようにして、細長、小袿などをお与えになる。 |