第一章 光る源氏の物語 薫物合せ
3. 御方々の薫物
本文 |
現代語訳 |
このついでに、御方々の合はせたまふども、おのおの御使して、 |
この機会に、ご夫人方がご調合なさった薫物を、それぞれお使いを出して、 |
「この夕暮れのしめりにこころみむ」 |
「今日の夕方の雨じめりに試してみよう」 |
と聞こえたまへれば、さまざまをかしうしなして奉りたまへり。 |
とお話申し上げなさっていたので、それぞれに趣向を凝らして差し上げなさった。 |
「これ分かせたまへ。誰れにか見せむ」 |
「これらをご判定ください。あなたでなくて誰に出来ましょう」 |
と聞こえたまひて、御火取りども召して、こころみさせたまふ。 |
と申し上げなさって、いくつもの御香炉を召して、お試しになる。 |
「知る人にもあらずや」 |
「知る人というほどの者ではありませんが」 |
と卑下したまへど、言ひ知らぬ匂ひどもの、進み遅れたる香一種などが、いささかの咎を分きて、あながちに劣りまさりのけぢめをおきたまふ。かのわが御二種のは、今ぞ取う出させたまふ。 |
と謙遜なさるが、何とも言えない匂いの中で、香りの強い物や弱い物の一つなどが、わずかの欠点を識別して、強いて優劣の区別をお付けになる。あのご自分の二種の香は、今お取り出させになる。 |
右近の陣の御溝水のほとりになずらへて、西の渡殿の下より出づる汀近う埋ませたまへるを、惟光の宰相の子の兵衛尉、堀りて参れり。宰相中将、取りて伝へ参らせたまふ。宮、 |
右近の陣の御溝水の辺に埋める例に倣って、西の渡殿の下から湧き出る遣水の近くに埋めさせなさっていたのを、惟光の宰相の子の兵衛尉が、掘り出して参上した。宰相中将が、受け取って差し上げさせなさる。宮、 |
「いと苦しき判者にも当たりてはべるかな。いと煙たしや」 |
「とても難しい判者に任命されたものですね。とても煙たくて閉口しますよ」 |
と、悩みたまふ。同じうこそは、いづくにも散りつつ広ごるべかめるを、人びとの心々に合はせたまへる、深さ浅さを、かぎあはせたまへるに、いと興あること多かり。 |
と、お困りになる。同じのは、どこにでも伝わって広がっているようだが、それぞれの好みで調合なさった、深さ浅さを、聞き分けて御覧になると、とても興味深いものが数多かった。 |
さらにいづれともなき中に、斎院の御黒方、さいへども、心にくくしづやかなる匂ひ、ことなり。侍従は、大臣の御は、すぐれてなまめかしうなつかしき香なりと定めたまふ。 |
まったくどれと言えない香の中で、斎院の御黒方、そうは言っても、奥ゆかしく落ち着いた匂い、格別である。侍従の香は、大臣のその御香は、優れて優美でやさしい香りである、とご判定になさる。 |
対の上の御は、三種ある中に、梅花、はなやかに今めかしう、すこしはやき心しつらひを添へて、めづらしき薫り加はれり。 |
対の上の御香は、三種ある中で、梅花の香が、ぱっと明るくて当世風で、少し鋭く匂い立つように工夫を加えて、珍しい香りが加わっていた。 |
「このころの風にたぐへむには、さらにこれにまさる匂ひあらじ」 |
「今頃の風に薫らせるには、まったくこれに優る匂いはあるまい」 |
とめでたまふ。 |
と賞美なさる。 |
夏の御方には、人びとの、かう心々に挑みたまふなる中に、数々にも立ち出でずやと、煙をさへ思ひ消えたまへる御心にて、ただ荷葉を一種合はせたまへり。さま変はりしめやかなる香して、あはれになつかし。 |
夏の御方におかれては、このようにご夫人方が思い思いに競争なさっている中で、人並みにもなるまいと、煙にさえお考えにならないご気性で、ただ荷葉の香を一種調合なさった。一風変わって、しっとりした香りで、しみじみと心惹かれる。 |
冬の御方にも、時々によれる匂ひの定まれるに消たれむもあいなしと思して、薫衣香の方のすぐれたるは、前の朱雀院のをうつさせたまひて、公忠朝臣の、ことに選び仕うまつれりし百歩の方など思ひ得て、世に似ずなまめかしさを取り集めたる、心おきてすぐれたりと、いづれをも無徳ならず定めたまふを、 |
冬の御方におかれても、季節季節に基づいた香が決まっているから、負けるのもつまらないとお考えになって、薫衣香の調合法の素晴らしいのは、前の朱雀院のをお学びなさって、源公忠朝臣が、特別にお選び申した百歩の方などを思いついて、世間にない優美さを調合した、その考えが素晴らしいと、どれも悪い所がないように判定なさるのを、 |
「心ぎたなき判者なめり」 |
「当たりさわりのない判者ですね」 |
と聞こえたまふ。 |
と申し上げなさる。 |