第六章 光る源氏の物語 女三の宮の六条院降嫁
6. 源氏、夢に紫の上を見る
本文 |
現代語訳 |
わざとつらしとにはあらねど、かやうに思ひ乱れたまふけにや、かの御夢に見えたまひければ、うちおどろきたまひて、いかにと心騒がしたまふに、鶏の音待ち出でたまへれば、夜深きも知らず顔に、急ぎ出でたまふ。いといはけなき御ありさまなれば、乳母たち近くさぶらひけり。 |
特別に恨めしいというのではないが、このように思い乱れなさったためであろうか、あちらの御夢に現れなさったので、ふと目をお覚ましになって、どうしたのかと胸騷ぎがなさるので、鶏の声をお待ちになっていたので、まだ夜の深いのも気づかないふりをして、急いでお帰りになる。とても子供子供したご様子なので、乳母たちが近くに伺候していた。 |
妻戸押し開けて出でたまふを、見たてまつり送る。明けぐれの空に、雪の光見えておぼつかなし。名残までとまれる御匂ひ、 |
妻戸を押し開けてお出になるのを、お見送り申し上げる。明け方の暗い空に、雪の光が見えてぼんやりとしている。後に残っている御匂いに、 |
「闇はあやなし」 |
「闇はあやなし」 |
と独りごたる。 |
とつい独り言が出る。 |
雪は所々消え残りたるが、いと白き庭の、ふとけぢめ見えわかれぬほどなるに、 |
雪は所々に消え残っているのが、真白な庭と、すぐには見分けがつかぬほどなので、 |
「なほ残れる雪」 |
「今も残っている雪」 |
と忍びやかに口ずさびたまひつつ、御格子うち叩きたまふも、久しくかかることなかりつるならひに、人びとも空寝をしつつ、やや待たせたてまつりて、引き上げたり。 |
とひっそりとお口ずさみなさりながら、御格子をお叩きなさるのも、長い間こうしたことがなかったのが常となって、女房たちも空寝をしては、ややお待たせ申してから、引き上げた。 |
「こよなく久しかりつるに、身も冷えにけるは。懼ぢきこゆる心のおろかならぬにこそあめれ。さるは、罪もなしや」 |
「ずいぶん長かったので、身もすっかり冷えてしまったよ。お恐がり申す気持ちが並々でないからでしょう。とは言っても、別に私には罪はないのだがね」 |
とて、御衣ひきやりなどしたまふに、すこし濡れたる御単衣の袖をひき隠して、うらもなくなつかしきものから、うちとけてはたあらぬ御用意など、いと恥づかしげにをかし。 |
と言って、御衾を引きのけなどなさると、少し涙に濡れた御単衣の袖を引き隠して、素直でやさしいものの、仲直りしようとはなさらないお気持ちなど、とてもこちらが恥ずかしくなるくらい立派である。 |
「限りなき人と聞こゆれど、難かめる世を」 |
「この上ない身分の人と申しても、これほどの人はいまい」 |
と、思し比べらる。 |
と、ついお比べにならずにはいられない。 |
よろづいにしへのことを思し出でつつ、とけがたき御けしきを怨みきこえたまひて、その日は暮らしたまひつれば、え渡りたまはで、寝殿には御消息を聞こえたまふ。 |
いろいろと昔のことをお思い出しになりながら、なかなか機嫌を直してくださらないのをお恨み申し上げなさって、その日はお過ごしになったので、お渡りになれず、寝殿にはお手紙を差し上げなさる。 |
「今朝の雪に心地あやまりて、いと悩ましくはべれば、心安き方にためらひはべる」 |
「今朝の雪で気分を悪くして、とても苦しゅうございますので、気楽な所で休んでおります」 |
とあり。御乳母、 |
とある。御乳母は、 |
「さ聞こえさせはべりぬ」 |
「さように申し上げました」 |
とばかり、言葉に聞こえたり。 |
とだけ、口上で申し上げた。 |
「異なることなの御返りや」と思す。「院に聞こし召さむこともいとほし。このころばかりつくろはむ」と思せど、えさもあらぬを、「さは思ひしことぞかし。あな苦し」と、みづから思ひ続けたまふ。 |
「そっけないお返事だ」とお思いになる。「院がお耳にあそばすこともおいたわしい、しばらくの間は人前を取り繕う」とお思いになるが、そうもできないので、「それは思ったとおりだった。ああ困ったことだ」と、ご自身お思い続けなさる。 |
女君も、「思ひやりなき御心かな」と、苦しがりたまふ。 |
女君も、「お察しのないお方だ」と、迷惑がりなさる。 |