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若菜上

第十章 明石の物語 男御子誕生    

3. 明石御方、母尼君をたしなめる     

 

本文

現代語訳

 いとものあはれに眺めておはするに、御方参りたまひて、日中の御加持に、こなたかなたより参り集ひ、もの騒がしくののしるに、御前にこと人もさぶらはず、尼君、所得ていと近くさぶらひたまふ。

 たいそう物思いに沈んでいらっしゃるところに、御方がお上がりになって、日中の御加持に、あちらこちらから参まって来て、大声を立てて祈祷していたが、御前に特に女房たちも伺候していず、尼君、得意顔にたいそう身近にお付きしていらっしゃる。

 「あな、見苦しや。短き御几帳引き寄せてこそ、さぶらひたまはめ。風など騒がしくて、おのづからほころびの隙もあらむに。医師などやうのさまして。いと盛り過ぎたまへりや」

 「まあ、見苦しいこと。短い御几帳をお側に置いてこそ、お付きなさいませ。風などが強くて、自然と隙間もできましょうに。医師のようにして。ほんとうに盛りを過ぎていらっしゃること」

 など、なまかたはらいたく思ひたまへり。よしめきそして振る舞ふと、おぼゆめれども、もうもうに耳もおぼおぼしかりければ、「ああ」と、傾きてゐたり。

 などと、はらはらしていらっしゃった。十分気を付けて振る舞っていると、思っているらしいけれども、老いぼれて耳もよく聞こえなかったので、「ああ」と、首をかしげていた。

 さるは、いとさ言ふばかりにもあらずかし。六十五、六のほどなり。尼姿、いとかはらかに、あてなるさまして、目艶やかに泣き腫れたるけしきの、あやしく昔思ひ出でたるさまなれば、胸うちつぶれて、

 実際、そう言うほどの年齢でもない。六十五、六歳ぐらいである。尼姿、たいそうこざっぱりと、気品がある様子で、目がきらきらと涙で泣きはらした様子が、妙に昔を思い出しているようなので、胸がどきりとして、

 「古代のひが言どもや、はべりつらむ。よく、この世のほかなるやうなるひがおぼえどもにとり混ぜつつ、あやしき昔のことどもも出でまうで来つらむはや。夢の心地こそしはべれ」

 「古めかしいわけのわからないお話でも、ございましたのでしょう。よく、この世にはありそうもない記憶違いのことを交えては、妙な昔話もあれこれとお話し申し上げたことでしょうよ。夢のような心地がします」

 と、うちほほ笑みて見たてまつりたまへば、いとなまめかしくきよらにて、例よりもいたくしづまり、もの思したるさまに見えたまふ。わが子ともおぼえたまはず、かたじけなきに、

 と、ちょっと苦笑して拝見なさると、たいそう優雅でお美しくて、いつもよりひどく落ち着いていらして、物思いに沈んでいるようにお見えになる。自分が生んだ子ともお見えにならないほど、恐れ多い方なので、

 「いとほしきことどもを聞こえたまひて、思し乱るるにや。今はかばかりと御位を極めたまはむ世に、聞こえも知らせむとこそ思へ、口惜しく思し捨つべきにはあらねど、いといとほしく心劣りしたまふらむ」

 「お気の毒なことを申し上げなさったので、お悩みになっていらっしゃるのだろうか。もうこれ以上ない最高のお地位におつきになった時に、お話し申し上げようと思っていたのに、残念にも自信をおなくしになる程のことではないが、さぞやお気の毒にがっかりしていられることだろう」

 とおぼゆ。

 とご心配なさる。



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